先ほど引用したイブン・アル=ウサイミーンは次のようなファトワーも出しています。
質問:特定の個人が背教行為を犯した場合にはその人物を不信仰者としても構わないか?
回答:同人に関し背教認定の条件が成立した場合には、彼を不信仰者とすることに問題はない。仮に我々がそのようには言わないとしても、ある人物に背教の条件が一致した場合には、現世においては背教者としての取り扱いを受けることになる。以上は、現世においての判断に関係している。
これに対し、来世における判断は一般論として語られることはあっても、個別的に論じられることはない。これを指してスンナ派では次のように言う。
預言者ムハンマドが証言した人を除いては、ある人に対し(その人が)楽園に入ると明言することもしなければ、火獄に行くと明言することもしない。
同様に、我々はラマダーン月に信仰心を持ってアッラーの御満悦を期待して斎戒を行った者は、過去と未来の罪が許されると言うが、特定の個人に対してこれを判定することはない。なぜならば、条件付きの判定は、その条件が適合し阻却事由が存在しないことによって初めて個人に対し適用されるからである*1。
イスラームでは一般論として善行を積めば罪が許されるという教え・原則を説くことは許されますが、ある善行を行ったことによりある特定の個人の罪が許されましたなどと言うことは、アッラーの大権に反することとして禁じられます。例えば、「あなたはこれこれのことをしたので、罪が許されました」と述べることは許されない、ということになります。
アッラーの預言者だけは例外的に特定の人物が天国に入ることを明言したのですが、これもアッラーからの啓示によるものと理解されます。また、預言者ムハンマドが最後の預言者であるという教義上、彼の死後には特定の人物が救済されるか否かを明言できる人物は存在しないということになります。
このように、イスラームには救済を司る存在としての聖職者や*2、救済を保証する物品やその販売などは存在しないことになります。
*1 ↑
*2 ↑ これはイスラームに関する宗教的学問に従事する専門家集団の不在を意味しない。