イスラームと色 ―白、緑、黒、赤、黄―

 イスラームと色の関係について纏めてみました。イスラームを象徴する色として、緑色が挙げられる場合も多いですが、意外にもその地位は確固たるものではありません。
 ある事柄がイスラーム的であるか否かを判断する基準の一つとして、イスラームの行為規範があります。例えば、礼拝を行うことはイスラーム上の義務であるということは、イスラーム法(シャリーア)により定められているといえます。モスクでの礼拝などが、非常にイスラーム的な光景であることに異論はないと思われます。この分野を扱う学問であるイスラーム法学(フィクフ)はあまり「色」にこだわりを示しません。

 例えば、『クウェート フィクフ百科』では「色 لَوْن」の項目は以下のような構成となっています。
(1)「色」の定義
(2)水の清浄性と変色(水が清浄物によって変色した場合、礼拝前のお浄めに用いうるか否かなど)
(3)汚物の洗浄と色抜き(衣類が汚物によって変色した場合の洗浄の目安について)
(4)衣装と色
(5)傷害と変色(傷害事件により歯が変色した場合など)
(6)盗品と色(盗品が染色されて被害者の元に戻ってきた場合の措置など)
(7)賃約保証と色の相違(衣類の染色を依頼したのに、間違った色に染められた場合の措置など)

 この中で、緑色や水色などの具体的な色について論じているのは(4)だけで、詳細については「衣装」の項を参照せよとの指示があります。

 指示に従って「衣装」の項目に進むと、約16頁に及ぶ記述のうち、色に関係する部分はおよそ5頁であることが分かります。この5頁分の内容を纏めたのが下記の表です。

衣装と色に関する規定の纏め

女性の規定 男性の規定
1.白色 衣装や死装束の色として推奨されるとの、法学者たちの合意がある。
2.赤色 問題無い。 ハンバリー派とハナフィー派の一部は赤単色の衣装は忌避されるとする。
シャーフィイー派とマーリキー派とハナフィー派の一部は紅花染やサフラン染でなければ赤単色であっても許されるとする。
3.黒色 問題無い。
4.黄色 問題無い。 紅花染やサフラン染の場合は、(6)参照。そうでない場合、衣装の色として問題無い。
5.緑色 一部の法学者は、クルアーン(コーラン)に「彼ら(楽園の住民)の上には緑の錦と緞子の服があり」(76章21節)とあることから、推奨されるとする。
6.紅花染とサフラン染 問題無い。 シャーフィイー派はサフラン染が禁じられるとする。
ハナフィー派とハンバリー派は紅花染とサフラン染が忌避されるとする。
マーリキー派は、紅花染・サフラン染ともに着用が許されるが、多重染色による濃色の場合は忌避されるとする。
出典:『クウェート フィクフ百科』の「衣装 ألبسة」の項目より筆者作成

 衣装の色として明確な推奨色は法学者たちの合意がある白色です。緑色は、一部の法学者が推奨色と見なしているという点で、白色よりも弱い地位にあります。黒色、赤色、黄色については、基本的には「問題無い」あるいは「許される」といった中立的な立場にあります。但し、赤色と黄色には男性だけに特別の規定があります。他方、女性には色に関する制限事項がありません。なお、紅花染とサフラン染は染め方次第で黄色にも赤色にもなるため、赤色と黄色の規定に関係します。

 イスラーム法の色に関するこだわりが比較的弱かったせいか、イスラームを代表する事物の色にも、時代による変遷が見られます。以下に、若干の例を挙げておきたいと思います。

1.預言者モスクのドーム 【青色 → 緑色】
 現在のマディーナ(メディナ)の預言者モスクには象徴的な緑色のドームがあります。しかし、初期の預言者モスクは平屋根であり、ドームが建立されたのは1279年、マムルーク朝スルターンであるカラーウーンによるものでした。またドームの色も、1837年、オスマン朝のマフムト2世によって青色から緑色に塗りかえらました*1

2.キスワ 【白色,赤色,緑色など → 黒色】
 キスワとはマッカ(メッカ)のカアバを覆っている布のことです。かつては白色,赤色,緑色などをしていましたが、今のような黒色になったのは、アッバース朝第34代カリフのナースィル・リ・ディーニッラー(在位1180-1225年)以降だといいます*2

3.旗 【黒色、白色、緑色】
 預言者時代には黒旗と白旗が用いられたといわれ、ウマイヤ朝は白旗、アッバース朝は黒旗、そしてシーア派は緑旗で知られています*3

 以上の3例では、歴史を通じて緑色が重視されてきたというような事実は確認されません。また、現代ではイスラームの象徴のように思われるカアバ神殿の黒布がかつては白・赤・緑などであったこと、預言者モスクのドームの色も青色だったことなど、今では当たり前のことになっていることが昔はそうではなかったことも明らかになりました。

 イスラームには時代を経ても変わらない部分と、変わってきた部分がありますが、色に関しては明白な規定が少ないだけに移り変わりの大きい領域であったようです。


*1
森伸生「預言者モスク」『岩波イスラーム辞典 CD-ROM版』、深見奈緒子『世界のイスラーム建築』講談社、2005年、25-30頁、羽田正『モスクが語るイスラム史』中央公論社、1994年、51-56頁参照。

*2
森伸生「キスワ」『岩波イスラーム辞典 CD-ROM版』参照。

*3
大塚和夫「旗」『岩波イスラーム辞典 CD-ROM版』、佐藤次高『イスラーム世界の興隆』中央公論社、1997年、124-125頁、J.David-Weill, “`Alam,” in Encyclopedia of Islam, New ed., Vol.1, Leiden, 1960, p349 参照。