若干の語弊はあるかもしれませんが、キリスト教の主要な担い手は教会であったと言って大きな間違いはないと思います。したがって、キリスト教の歴史をたどる場合には、教会の歴史をたどる作業が中心となります。例えば、世界宗教史叢書に収められている森安達也『キリスト教史Ⅲ』(山川出版社、1978年刊)には「本書は当方キリスト教史であるが、教会政治の動向と教義の形成に重点を置き、信仰生活そのものと典礼芸術、宗教文学などは付随的な記述に留めた」(1頁)とあります。
これに対して、同じ世界宗教史叢書の一冊である『イスラム教史』(嶋田襄平著、山川出版社、1978年刊)は次のように述べています。
イスラムは人間の営みの精神的な面と世俗的な面、つまり聖と俗、教会と国家、宗教と政治とを区別しない。それらはともに、神を唯一の立法者とする法、シャリーアのもとにあり、シャリーアは信者に来世の救済と現世の幸福とを併せて保証する。来世の救済については述べるまでもあるまい。現世の幸福は秩序と統一であり、それは政治によって実現される。このようなシャリーアの施行の責任を委ねるため、少なくとも理念的に、イスラム教徒はみずからのあいだから、合意によってただ一人のカリフを選び出す。
教会の組織がないのであるから、当然のことといえばそれまでであるが、イスラムの歴史において「教会史」はありえない。また、イスラムはすぐれた法学や神学を生み出したが、いかに法学や神学の発達について述べたところで、それだけではイスラムの歴史にならない。イスラムの歴史は畢竟するに精神的領域と世俗的領域との双方を含むイスラム教徒の営みの記録にほかならない。14世紀の半ばに没したアラブの伝統的な神学者で、かつ歴史家でもあったザハビーの『イスラムの歴史』はまさしくこのようなものである*8。
この、ザハビーの『イスラームの歴史』という本の序文には、執筆の方針が書かれており、次の内容となっています。
この本は、アッラーがお望みであれば、有益な本であり ――我々は無用な知識と聞き届けられることのない祈願からの守護をアッラーに求める―― 私が集成し、労力を傾け、多くの作品から抽出したもので、これによって人々は、カリフ達、読誦者達、禁欲者達、法学者達、ハディース学者達、ウラマー達、
政治権力者 達、大臣達、文法学者達、詩人達のうちの大物達の没年、また、簡潔な表現による彼らの伝記、時代、師匠達、一部の伝承に関する知識、そして、有名な征服、語り継がれる英雄譚、書き記される驚異などのイスラーム史の最初から我々のこの時代までに経過した重要事を知ることが出来るものである*9。
この様に、『イスラームの歴史』は「
預言者ムハンマドのマッカ(メッカ)からマディーナへの
この聖遷の重要性を理解するには、預言者ムハンマドの果たした役割が一般に「宗教家」として理解されるそれを超えていたことが理解される必要があると思います。預言者ムハンマドという人は単なる宗教家に留まりませんでした。家庭人、政治家、宗教家、霊的な権威という様々な側面を併せ持つ人格でした。リアル・ポリティックス(現実政治)に長じつつも、決して理想や原則を放棄せず、1代にしてアラビア半島を統一しました。この時代に理想の
*8 ↑: 同書、1-2頁。
*9 ↑
*10 ↑: Jalāl al-Dīn al-Suyūtī, al-Shamārīkh fī ‘Ilm al-Tārīkh, Leiden, 1894, pp.5-6. http://www.archive.org/download/alshamrkhfilmalt00suyuuoft/alshamrkhfilmalt00suyuuoft.pdf