ナチス時代のフランス、パリのムスリム(イスラム教徒)によるユダヤ人救出活動容に関する実話に基づいた絵本が邦訳、出版されました。
『パリのモスク -ユダヤ人を助けたイスラム教徒-』
(カレン・グレイ・ルエル著、デボラ・ダーランド・デセイ著、池田真里訳)
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フランス、パリの北アフリカ系のムスリム(イスラム教徒)がオスカー・シンドラーや杉原千畝のようにユダヤ人救出活動に尽力したというあまり知られていないエピソードが分かり易い絵本になっています。事件の舞台となったのはパリのグランド・モスクで、当時のパリのムスリム社会の雰囲気を伝える内容にもなっています。
著者による巻頭言、訳者解説、帯にはいずれも「ひとりの人間のいのちを救うならば、それは全人類を救ったのと同じ」との記述があります。これは、クルアーン(コーラン)の第5章32節の内容から取られています。
「それゆえに(アーダムの息子カービール<カイン>がハービール<アベル>を不当に敵対的に殺したために*1)、われらはイスラーイールの子孫に書き定めた。それ即ち、人の命の故にでも、あるいは地上での害悪でのせいでもなく、人ひとりを殺したものは人々(人類)全てを殺したようなものであり、人ひとりを生かしたものは人々(人類)全てを生かしたようなものであると。そして彼らに我らの使徒達は数々の明証を携えて確かに訪れた。それからも、彼らの多くはその後も地上においてまことに度を超す者たちであった。」
イブン・カスィールはこの部分について次のように注釈しています。
つまり、同害報復や地上での害悪(への対応)といった正当な理由無く人ひとりを殺し、犯罪(への刑罰として)や正当な理由が無く人ひとりを殺すことを許されたこととした者は、あたかも人々(人類)全てを殺したようなものである*2。
他方、人ひとりを生かしたもの、つまり人を殺すことを禁じ、それ(人を殺すことが許されないこと)を信じた者は、かかる認識によって人々(人類)全てを自らから守ったのである*3。
このように、イブン・カスィールの注釈書では、人を正当な理由無く殺すことが決して許されない行為であるとの主張が強く出ています。人を理由無く殺してはならない、殺さないことこそが人々の命を守る礎となるとのこの主張は、叛徒に囲まれて殺された第3代カリフ・ウスマーンが、加勢を申し入れたアブー・フライラに対し、「人ひとりを殺したものは人々(人類)全てを殺したようなものである」といって諫めたとのエピソードに裏打ちされています*4。
ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺は、正当な理由のない殺人として、パリのムスリム達にとっては看過することの出来ない問題であったのではないでしょうか。
(K.S.)
*1 ↑イブン・カスィールの注釈書より。
*2 ↑
*3 ↑
*4 ↑
وقال علي بن أبي طلحة، عن ابن عباس: هو كما قال الله تعالى: { مَن قَتَلَ نَفْساً بِغَيْرِ نَفْسٍ أَوْ فَسَادٍ فِى ٱلأَرْضِ فَكَأَنَّمَا قَتَلَ ٱلنَّاسَ جَمِيعاً وَمَنْ أَحْيَـٰهَا فَكَأَنَّمَا أَحْيَا النَّاسَ جَمِيعاً } وإحياؤها ألا يقتل نفساً حرمها الله، فذلك الذي أحيا الناس جميعاً، يعني: أنه من حرم قتلها إلا بحق، حيي الناس منه، وهكذا قال مجاهد: ومن أحياها، أي: كف عن قتلها. ابن كثير، تفسير القرآن الكريم، جيزة، 2000، ج5، ص 180-81.