党派性に基づいて預言者の優越を論じることの禁止

 ハディース(預言者ムハンマドの言行録)には以下のようにあります。

 預言者たちの間で優越をつけてはいけない。

 私(ムハンマド)を預言者たちの間で優れたものとしてはいけない。*1

 これらのハディースに関する注釈書を見ますと、以下のような説明があります。

 学者達は預言者たちの間で優越をつけてはいけないとの預言者ムハンマドの禁止に関して、次のように述べている。預言者は、根拠なしに(勝手な)意見としてそれ(注:預言者間の優越)を言う者、貶めるような仕方でそれを言うもの、もしくは論争や紛争を引き起こすような仕方でそれをいうものに、それを禁じたのである。あるいは、(預言者の発言において)意図されていることは、劣っているとされた者に何の優れた点も残されていないというような仕方で褒めちぎってはいけないということである。例えば、我々がイマーム(礼拝指導者)はムアッズィン(礼拝の呼びかけをする人)よりも優れていると言った場合、これは礼拝の呼びかけについてのムアッズィンの優越性を貶めることにつながらない。(中略)

 アル=ハリーミーは次のように述べている。(預言者の)優越をつけることを禁じるハディースは、啓典の民(注:ユダヤ教徒やキリスト教徒など啓典を授かった民)との論争において選り好みによって一部の預言者をその他の預言者に対し優れているとすることを禁じるものである。というのも、2つの宗教の民の間に選り好みが生じた場合、一方がもう一方を侮蔑するまでに至りそして(自らが)不信仰に陥る可能性が排除されないからである。(注:従って、例えばムスリムがキリスト教のイエスを侮辱することは厳禁される)。それに対し、より優勢な(見解)を得るためにそれぞれの優越性を比較することによって優越をつけることは、禁止には含まれない。(注:つまり、身贔屓や党派性によってではなく、学問的に冷静な比較をすることは禁止されないということ。)*2

 このように、イスラームを知るためにはクルアーン(コーラン)の各章を整合的に読むだけではなく、クルアーンとハディース(預言者の言行録)も調和の取れた形で理解する必要があります。

 「使徒たちのいずれの間にも区別をつけない」、「かつてわれらは預言者のある者たちをあるものよりも優遇し、ダーウードには詩篇を授けた」というクルアーンの2つの章句と「預言者たちの間で優越をつけてはいけない。」というハディースの内容は、表面的にはそれぞれが相矛盾するように見えるのですが、古典を読んでいくとそれらが調和していることに気づかされます。

 また、党派性に基づいた宗教同士の無益な論争は、自らを損なうことにもつながりかねないとしてこれを禁じつつも、学問的な探求を禁じることはないといったイスラームの理性的な態度も示されているように思われます。

(K.S.)


*1

صحيح البخاري، كتاب الدّيات، باب: إذا لطم المسلم يهودياً عند الغضب.

– حدثنا أبو نعيم: حدثنا سفيان، عن عمرو بن يحيى، عن أبيه، عن أبي سعيد، عن النبي صلى الله عليه وسلم قال: (لا تخيِّروا بين الأنبياء).

– حدثنا محمد بن يوسف: حدثنا سفيان، عن عمرو بن يحيى المازني، عن أبيه، عن أبي سعيد الخدري قال: جاء رجل من اليهود إلى النبي صلى الله عليه وسلم قد لُطم وجهه، فقال: يا محمد، إن رجلاً من أصحابك من الأنصار لطم وجهي، قال: (ادعوه). فدعوه، قال: (ألطمت وجهه). قال: يا رسول الله، إني مررت باليهود فسمعته يقول: والذي اصطفى موسى على البشر، قال: قلت: أعلى محمد صلى الله عليه وسلم؟ قال: فأخذتني غضبة فلطمته، قال: (لا تخيِّروني من بين الأنبياء، فإن الناس يصعقون يوم القيامة، فأكون أول من يفيق، فإذا أنا بموسى آخذ بقائمة من قوائم العرش، فلا أدري أفاق قبلي، أم جوزي بصعقة الطور).

牧野信也訳では6巻117-18ページに該当。同様の趣旨の内容が、3巻331-334にも存在

*2

فتح الباري، كِتَاب أَحَادِيثِ الْأَنْبِيَاءِ ، باب وَفَاةِ مُوسَى وَذِكْرِهِ بَعْدُ

قال العلماء في نهيه صلى الله عليه وسلم عن التفضيل بين الأنبياء: إنما نهى عن ذلك من يقوله برأيه لا من يقوله بدليل أو من يقوله بحيث يؤدي إلى تنقيص المفضول أو يؤدي إلى الخصومة والتنازع، أو المراد لا تفضلوا بجميع أنواع الفضائل بحيث لا يترك للمفضول فضيلة، فالإمام مثلا إذ قلنا إنه أفضل من المؤذن لا يستلزم نقص فضيلة المؤذن بالنسبة إلى الأذان، وقيل: النهى عن التفضيل إنما هو في حق النبوة نفسها كقوله تعالى: (لا نفرق بين أحد من رسله) ولم ينه عن تفضيل بعض الذوات على بعض لقوله: (تلك الرسل فضلنا بعضهم على بعض) .

وقال الحليمي الأخبار الواردة في النهي عن التخيير إنما هي في مجادلة أهل الكتاب وتفضيل بعض الأنبياء على بعض بالمخايرة، لأن المخايرة إذا وقعت بين أهل دينين لا يؤمن أن يخرج أحدهما إلى ازدراء بالآخر فيفضي إلى الكفر، فأما إذا كان التخيير مستندا إلى مقابلة الفضائل لتحصيل الرجحان فلا يدخل في النهي