18世紀の神学書では、預言者と使徒を以下のように説明しています。
一般的な説では、預言者とは(神から)シャリーアの伝達を命じられていないにせよ、それを啓示された人である。もし、シャリーアの伝達が命じられたのであれば、彼は(預言者であると)同時に使徒である。(中略)従って、全ての使徒は預言者であるが、全ての預言者が使徒であるわけではない*1。
14世紀の神学書は次のように述べています。
(諸学者が)預言者と使徒との違いに述べているが、それらの説の中で最良のものは次のものである。(預言者とは)アッラーが天の知らせについて伝えた人である。もし彼が他人にそれ(注:天の知らせ)を伝えたとすれば、彼は預言者かつ使徒である。従って、使徒は預言者よりも限定的であり、全ての使徒は預言者であるが、全ての預言者が使徒であるわけではない。
しかしながら、使徒性(الرسالة)はそれ自体によって包括的な存在であり、預言者性は使徒性の一部分である。というのも、使徒性は預言者性とそれ以外を含むからである(注:使徒性は、預言者性に加えて、他人への伝達という使命を帯びるので、より包括的であるということ)。
これに対し使徒達はそうではない。というのも、使徒が預言者とそれ以外の人物を含むということはないからである。否、事実は逆である。
従って、使徒性はそれ自体を見た限りでは包括的な存在であり、その所有者という観点では限定的なのである。*2
つまり、使徒は預言者の中からさらに選ばれた人たちであり、預言者が神からの知らせ(ナバア نبأ)を啓示された時点でなれるのに対し、使徒はさらにその知らせを他人に伝えるという使命を負っているということです。
なお、ムハンマドは神の使徒(رسول الله)であったため、当然ながら預言者でもあったわけです。そのため、アラビア語文献でも使徒ムハンマドを単に預言者(النبي)と呼ぶ場合も多いのです。
現代でもある程度の教養のあるアラブ・ムスリムは、使徒と預言者の違いについて常識として知っているように思われます。
なお、アフマド・ブン・ハンバルのハディース集に採録されているハディース(預言者の言行録)によると、預言者の数は124,000人、そのうち使徒の数は315人であると伝えられています*3。
(K.S.)
*1 ↑
و هو انسان أوحى اليه بشرع و ان لم يؤمر بتبليغه فان أمر بتبليغه فهو رسول أيضا على المشهور فبين النبي و الرسول عموم و خصوص مطلق، فكل رسول نبي و ليس كل نبي رسولا.
*2 ↑
و قد ذكروا فُروقاً بين النبي و الرسول، و أحسنها: أن مَنْ نبّأه الله بخبر السماء، إن أمره أن يبلغ غيره، فهو نبيٌّ رسول، و إن لم يأمره أن يبلغ غيره، فهو نبي و ليس برسول، فالرسول أخص من النبي، فكل رسول نبي، و ليس كل نبي رسولاً، و لكن الرسالة أعم من جهة نفسها، فالنبوة جزء من الرسالة، إذ الرسالة تتناول النبوة و غيرها، بخلاف الرسل، فإنهم لا يتناولون الأنبياء و غيرهم، بل الأمر بالعكس. فالرسالة أعم من جهة نفسها، و اخص من جهة أهلها.
*3 ↑
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حديث أبي أمامة الباهلي الصدي بن عجلان بن عمرو ابن وهب الباهلي عن النبي صلى الله عليه وسلم.
يا رسول الله كم وفى عدة الأنبياء قال: مائة ألف وأربعة وعشرون ألفا الرسل من ذلك ثلثمائة وخمسة عشر جما غفيرا.