中田香織訳 『タフスィール・アル=ジャラーライン』

 タフスィールとはクルアーンの注釈(書)のことです。クルアーン本文の訳は直訳に近く、その直訳に対して注釈がつけられています。他の翻訳を読んでいて、疑問に思った箇所を理解したいと思った場合、注釈書を参照する必要がありますが、現在までのところ日本語で読める注釈書はこの本が唯一のものとなります。

 『タフスィール・アル=ジャラーライン』のアラビア語の原本は、非常に簡潔に記されているので、訳者は必要に応じ『アル=ジャマル脚注』を翻訳し読者の便宜を図っています。『アル=ジャマル脚注』を著したスライマーン・ブン・ウマルは1790年に没していますので、それ以前の大学者達が次々と輩出した時代を俯瞰できる立場にありました。

 クルアーン(コーラン)はいわゆるイスラーム法の一番の土台となる部分です。例えば、「目には目を、歯には歯を」という同害報復は旧約聖書の出エジプト記にもある原則ですが、クルアーンの中にも同様の記述があります。

 また、われらは彼らにその中で、命は命によって、目は目によって、鼻は鼻によって、耳は耳によって、歯は歯によって、傷は同害報復と書き定めた。それを施しとした者、それは彼にとって罪滅ぼしである。アッラーの下し給うたもので裁かないもの、それらの者は不正な者である(第5章45節)。

 この部分に対する『アル=ジャマル脚注』の一部分を引用します。

 イブン・アル=カィイム(Muḥammad bn ‘Abū Bakr, 751/1350年没)によれば、殺人者には、アッラーに対する義務と殺された者に対する義務と遺族に対する義務とがある。殺人者が自分のなしたことを悔い、アッラーを恐れ、心から悔悟して遺族に自らを差し出せば、その悔悟によってアッラーに対する義務は解消する。遺族に対する義務は同害報復の執行、あるいは示談、恩赦によって解消する。残るは殺された者への義務であるが、それについてはアッラーが審判の日に悔悟したしもべに代わって補償し、両者の間の和解を執り成し給う。」(『タフスィール・アル=ジャラーライン』1巻、287-88頁)。

 殺人者の負っている義務・責任を3つの範疇に分類する上記の説明は、イスラームの考える同害報復刑の背景にある考え方を余すところなく明らかにしてくれます。『タフスィール・アル=ジャラーライン』はクルアーンについてより詳しく知りたい人、イスラーム思想について考えたい人にとって大変良い手引書となってくれるでしょう。

(K.S.)