神の意思はどう知られうるか

神の意思はどう知られうるか

 先ほどの本は続けて、

 他方、僕(しもべ)の行為の義務・禁止は、啓示(الشرع)を通じて以外には知られえない。もし仮に、至高なるアッラーがその僕に対して仲介者や使徒を送ることなしに直接語りかけることによって、あることを義務とした場合、そのあることは義務となる。同様に、アッラーがその僕に対して仲介者なしにあるいは使徒の口を通してあることを禁止した場合、そのあることは禁忌となる。

 そして、アッラーによる語りかけと使徒の派遣以前には、誰に対しても何かが義務となったり禁忌になったりすることはない。*1

と述べています。

 ここで引用した考え方の背景には、神が人間に何を求めているのか、ということは理性によっては知られえないという大前提があります。同様に、啓典、天使、来世、運命についても理性によっては知りえないことと考えられています。人間の側からは、神の意思を知りえないということは、それなりに理解可能な考え方だと思われます。

 人間が神の意思を知る方法はひとつしかなく、それは神の側からの意思表明です。それが、啓示です。ですから、「アッラーによる語りかけと使徒の派遣以前には、誰に対しても何かが義務となったり禁忌になったりすることはない。」という結論が出てくるわけです。

 このようにイスラームでは人間が知りうることが限られているとされるため、森羅万象について知り尽くしたことを標榜するような宗教的人格が出現する余地はありません。イスラームの学者・宗教者は、人間の知りうる範囲とアッラーのみが知りうる範囲をはっきりと区別し、人間に与えられた啓示・知識と能力の範囲内で最善を尽くすという態度をとります。

(K.S.)


* 1

فأما وجوب الأفعال و حظرُها و تحريمها على العباد فلا يعرف إلا من طريق الشرع فان أوجب الله عز و جل على عباده شيئاً بخطابه إياهم بلا واسطة أو بإرسال رسول إليهم وجب، و كذلك أن نهاهم عن شيء بلا واسطة أو على لسان رسول حرم عليهم، و قبل الخطاب و الإرسال لا يكون شيء واجباً و لا حراماً على أحد.