文化か文明か-終わらない議論

 文化と文明という言葉は西欧語の翻訳ですが、鈴木董『オスマン帝国の解体』によると、文明はフランス語のシヴィリザシォンが原語であり、文化はドイツ語のクルトゥールが原語で、両語とも現在のような意味で用いられるようになったのは近代以降なのだそうです*1。そして同書によれば、英語、仏語、独語において、文明と文化という言葉の使われ方はそれぞれ違っていたそうです。

 文明と文化を巡る議論が煩雑でわかりにくい理由の一つは、ここにあります。

 さらに、鈴木董は「文明」の分類の恣意性について次のように記しています。この部分は大変重要です。

 文化圏、とりわけ大文化圏をいかに設定するかという問題は、文化圏ないし大文化というという意味での「文明」の分類の問題として、古くから多くの論者によって論ぜられてきた。たとえば、『西洋の没落』を著したオズワルド・シュペングラーは、8つの高度文化を挙げている。『歴史の研究』の著者、アーノルド・トインビーは、当初、「十分開花した文明」として23例をあげていたが、のち、「十分開花した文明」を31とし、そのうち14を「独立文明」、17を「衛星文明」とした。また、近年、世上をにぎわしたサミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』では、現存の文明として、8つをあげている。

 しかし、これらの文化ないし文明、すなわち本書の用語でいう大文化圏にあたるものの分類は、かなり恣意的である。

 (中略)

 ある文化とその拡がりを、内容の面から規定しようとするとき、つねに、あいまいさと主観性が生ずる。これが、文化、文化圏、ないしここでの大文化圏にほぼあたる、いわゆる「文明」の分類と配置につき議論がたえぬ原因をなす*2

 ごく身近な例で言えば、日本は独自の文明を有するのか、それとも独自の文化を有するのかといった議論が存在しますが、そのような議論に容易に決着がつかない理由もここに明快に述べられています。

(K.S.)


*1 鈴木 董『オスマン帝国の解体』ちくま新書、2000年、17-18頁参照

*2 鈴木 董『オスマン帝国の解体』ちくま新書、2000年、19頁