イブン・カイイムの見解の纏め

以上のイブン・カイイムがムフティーの区分はおおよそ次の表のとおり纏められます。

【1】法学派の学祖の水準にような真のムフティー。各世紀初頭の改革者。

非限定

ムジュタヒド

ムフティー

【2】学祖の理論と方法論に従って法規定を導き出し、学祖の学派を整理し定式化するムジュタヒド。独自の見解を持つものの、非限定ムジュタヒドほどの独立性はない。アブー・ユースフやアッ=シャイバーニーといった学祖に師事したムフティー。

限定

ムジュタヒド

【3】所属する学祖の学派の見解に通暁しているが、学祖の明文がある場合にはそれに背くことは絶対にない学派内ムジュタヒド。彼らは自らのイジュティハードの結果、学祖の学派が最も真理に近いとし、クルアーンやスンナの直接的参照は必要ないとする。

【4】所属する学祖の学派について理解し記憶した純然たる模倣者。

模倣者

(ムカッリド)

【その他】学者の猿真似をする者

似非学者

 イブン・カイイムは【1】の集団をクルアーンやスンナを直接参照し、教友達の見解に熟知した新たな問題への対応が可能な非限定ムジュタヒドであるとして激賞し、「彼らによってイジュティハードの義務が遂行される」としています。彼が、イジュティハードの義務が特定の時代に終了するような性質のものであるとは考えていなかったことは、非限定ムジュタヒドを「各世紀初頭の改革者(ムジャッディド)」、「アッラーがその宗教において植え続けられる『アッラーの苗』」と呼んだことからも明らかです。イブン・カイイムは「非限定ムジュタヒド」が地上から消滅する事はなく、彼らによってイスラームが支え続けられると考えていました。なお、ここで彼自身は非限定ムジュタヒドという用語を使ってはいませんが、限定ムジュタヒドという概念は非限定ムジュタヒドと対置的に用いられるのが通例であるほか、【2】の限定ムジュタヒドについて「彼らの位階はイジュティハードの独立性において学祖たちに及ばない」と評していることからも【1】が非限定ムジュタヒド(ないし独立ムジュタヒド)に相当することは明らかです*1

 【2】の集団ですが、【1】との違いは独立性において若干劣っているということに尽きると思われます。【2】の例として名前が挙げられている学者達は何れも巨匠という言葉に相応しい人物達で、例えばハナフィー派では「学祖 imām」といえばアブー・ハニーファを、「両師 shaikhān」といえばアブー・ハニーファとアブー・ユースフを、「両端 ṭarafān」といえばアブー・ハニーファとシャイバーニーを、「両弟子 ṣāḥibān」といえばアブー・ユースフとシャイバーニーを指します*2。学祖の見解と方法論を自家薬籠中のものとし、学祖とほとんど同じような能力を持っていながらも、学祖の考えを学派として形成することに努力した人たちでした。

 【3】の集団についてですが、【2】の集団が【1】の学祖と紙一重であり学祖に「師事」していたのに対し、【3】の集団の学祖との関係は「所属」という表現が使われているように学祖との間に距離感があります。彼らにとってのイジュティハードとは、「諸学派についてイジュティハードする」つまり諸学派を比較検討することで、その結果、「それらのうちで一番真理に近いのは我らの学祖の学派であると知った」以降は学派の理論の精緻化に努め、「彼らの多くはクルアーン、スンナ及びアラビア語の学問・知識というものは必要ではないと考えている」つまりアラビア語学に精通しクルアーンやスンナを直接参照することもない、とイブン・カイイムは批判します。彼らは諸学派についてイジュティハード(比較検討努力)を行った結果、アッラーと使徒の言葉に関して解釈努力を払うという本来のイジュティハードを放棄したのである、これは何という矛盾であろうか、とイブン・カイイムは慨嘆します。

 【4】の集団について、イブン・カイイムはムジュタヒドという言葉を使っていません。これは、【2】、【3】についてはムジュタヒドという用語を使っていたのは対照的です。彼らが「純然たる模倣」を行い、「自らの属する学祖の見解に相違する真正なハディースを知った場合にはそのハディースを放置して学祖の見解を採用」したとあることからも、イブン・カイイムが彼らをムジュタヒドとして認めていなかったことは歴然としています。イブン・カイイムによれば、彼らはもはや一切のイジュティハードを放棄している純然たる模倣・追従者で、例えクルアーンやスンナに言及したとしてもそれについて学的努力を払うこともなく、単にありがたいものとしてそうしている、ということになります。とはいえ、イブン・カイイムも彼らがムフティーであることを否定しているわけではなく、十全たる模倣者もムフティーの枠内にいます。

 イブン・カイイムの学者達への視線が厳しいことはさておき、ムフティーの枠組みがムジュタヒドの枠組みよりも広かったことは注目に値します。現代のムスリム社会でも著名な大学者から人々の身近にいる法学者まで様々なムフティーがいますが、イブン・カイイムが指摘したムフティーの位階は現在まで続いていると言えるかもしれません*3。こういった位階は公会議などで決められたりするのではなく、ウラマー間の評価によって定まります。官職としてのムフティー職は国家などの公権力によって任命されますが、例えばある国の「最高ムフティー」が必ずしもその国における最高の学識者である訳ではなく、場合によっては政治任用である場合もあります。現在、インターネット上にも様々なファトワーがありますが、それらが玉石混淆である理由は、インターネットそのものが持つある種無秩序な性質に加え、ファトワーを発するムフティーにも様々な位階があるからでしょう。

(K.S.)


*1 : なお、イブン・カイイムは無限定ムジュタヒドという用語を同書の6巻130頁において用いている。独立ムジュタヒドについては、同巻145頁において引用の形で用いている。

*2

وهبة الزحيلي، الفقه الإسلامي وأدلته، ج1، ص57، دمشق، 1989.

*3 : 現代ムスリム社会におけるムフティーの具体的有様に関する報告としては、例えば、嶺崎寛子「生活の中のイスラーム言説とジェンダー--エジプト「イスラーム電話」にみるファトワーの社会的機能」『アジア・アフリカ言語文化研究』,78.,東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所,2010/2. http://repository.tufs.ac.jp/bitstream/10108/56437/1/jaas078001_ful.pdf がある。