ムスリム(イスラーム教徒)の礼拝をテレビなどででもご覧になった方にはお分かりいただけるでしょうが、集団で礼拝するときに、ムスリムは一糸乱れぬとまではいきませんがかなり整然とした集団礼拝を行います。このような光景を見られて、イスラームは大変団結力が強く、整然とした組織を持っていると感じられた方もいらっしゃるかもしれません。
ムスリム(イスラーム教徒)がムスリムを大切にする傾向が強い、つまり同胞意識が高いというのはある程度正しい認識ですし、イスラームの教えもムスリム仲間を大切にするように説いています。しかし、イスラームが整然とした組織を持っている、というのは少し事実から外れた認識です。
それでは、ムスリムが整然とした集団礼拝を行えるのはなぜでしょうか。それは、礼拝に関していえば「マニュアル」のようなものがあり、その「マニュアル」に従えば皆が同じような行動様式をとることができるからです。集団礼拝の際に、先頭に立って礼拝する人のことをイマームといいますが、イマームとは指導者のことです。この、イマームが礼拝の要所要所で「アッラーフ・アクバル」*1と唱えながら礼拝するのですが、1回目の「アッラーフ・アクバル」では何をする、2回目の「アッラーフ・アクバル」では何をする、といったことが決まっており、どこでクルアーン(コーラン)を読誦するかといった細かい内容もムスリムにとっては周知の事実となっています。
ですから、2階建以上のモスク(イスラーム礼拝堂、アラビア語ではマスジド)であっても、マイクとスピーカーなどによってイマーム(礼拝指導者)の声さえ届けば、イマームの姿を見ることができなくとも集団礼拝を行うことが可能になります。このような「マニュアル」は入信者のために小冊子として実際に配布されていますし、ムスリムの多くすむ国々では子供のころから周囲の大人が礼拝する姿を見て自然に「マニュアル」の内容が身につくものです。
以上、「マニュアル」という言葉を使ってきましたが、この「マニュアル」という言葉を「イスラーム法」に置き換えながら、もう一度文章を読み返していただくとイスラーム法のなんたるかがある程度御理解いただけると思います。モスク(イスラームの礼拝堂)などで配られている「礼拝の仕方」といった小冊子も、ごくごく簡単に書かれた「イスラーム法学書」と捉えることができます。
イスラーム法学というと難解な印象がありますが、ムスリム(イスラーム教徒)にとっては生活に密着した存在です。
(K.S.)
*1 ↑ アラビア語ではタクビールといいます。