イスラーム法という日本語の言葉が、フィクフの訳語としても、シャリーアの訳語としても使われているということはすでに述べました。
まずはシャリーアという言葉ですが、次のように定義されています。
預言者に啓示によって下されたものでクルアーンやスンナ(預言者の言行)における規定のうち、信仰箇条、修養、義務能力者の行為に関係するもので、疑う余地のないものもあれば蓋然性によるものもある。*1
このように、シャリーアはクルアーン(コーラン)とスンナに表されたイスラームの教えの総体、というかなり広い意味を持つ言葉です。言い換えれば、シャリーアとはアッラーの神意であるということです。
小杉泰は『現代中東とイスラーム政治』の中で
後代には便宜上シャリーアを法学と同義に扱う傾向が生まれるが、現代でも「シャリーアはいかなる場所、いかなる時代にも有効である」としばしば主張されるときの「シャリーア」が、実定法レベルの法学を指しているのではないことは明白であろう*2。
と記しており、現代ではシャリーアと法学がほぼ同一視されつつも、シャリーアの元来の意味が未だに保たれていることを指摘しています。
*1 ↑
الشريعة: هي ما نزل به الوحي على رسول الله (ص) من الأحكام في الكتاب أو السنة مما يتعلق بالعقائد و الوجدانيات و أفعال المكلفين قطعيا كان أو ظنيا.
*2 ↑ 小杉 泰 『現代中東とイスラーム政治』昭和堂、1994年、90頁