イスラームの学者達は連綿と続いてきた学問的伝統を大切にしつつ、新たな試みも行っています。現代のイスラーム学者の文体は、古典期のものとは当然に違ってきています。古典で使われる単語や文体は簡潔であるが故の難解さと、力強さがあるように思います。
現代のイスラーム学者の文体は、より説明的になっています。これは近代以降の国民教育の普及によって識字率が向上し宗教的素養のない一般読者層が大幅に増加したこと、印刷技術の向上によりかつては専門家向けに書かれていた書物全般が一般読者を想定する必要に迫られ、読者の側も自分自身の力でイスラームについて知りたいという要求が高まったことなどの事情を受け、専門家向けの簡潔・難解な表現では一般読者の誤解を招きかねない虞(おそれ)があることによります。
また、イスラームを他の文明との比較において把握しよう、位置づけようという姿勢も一般的傾向として見られます。例えば、現代の著名なイスラーム学者であるユースフ・アル=カラダーウィーのイスラーム法学書は堅いジャンルの本ですが、食物規定に関する部分は次のように始まります。
古くから諸共同体や諸民族は、何を食べ何を飲むか、特に動物性の食物について、何が許され何が許されないのかにおいて、相違してきた。
他方、植物性の飲食物については、人々の間に大きな相違があったとは知られていない。イスラームはそれ(植物性の飲食物)に関しては、葡萄、ナツメヤシ、大麦、若しくは他のいかなる物質から作られたものであれ、酒(خمر)以外を禁じることはなかった。
同様に、イスラームは麻痺・鎮静作用のあるもの(注:麻薬等を意味する)、すべての体に害を及ぼすものを禁じた。これについては後述する。
さて、動物性の食物は、諸宗教や諸集団が大いに相違してきた点である*1。
この後、カラダーウィーはインドのバラモン教*2における菜食主義やユダヤ教、キリスト教の食物規定についてごく簡単に要約しています。
ムスリム(イスラーム教徒)を訪問される際、お土産についていろいろと配慮なさる方もいらっしゃることでしょう。上の説明を読むと、少なくとも宗教上はどんなムスリムにでも受け入れられる文句のつけようのないものは、「植物性の飲食物」のなかの果物かもしれません。
(K.S.)
*1 ↑
اختلفت الأُمم و الشعوب من قديم في أمر ما يأكلون و ما يشربون، و ما يجوز لهم، و ما لا يجوز، و بخاصة في الأطعمة الحيوانية. أما الأطعمة و الأشربة النباتية فلم يعرف للبشر خلاف كثير في شأنها. لم يحرِّم الإسلام منها إلا ما صار خمراً، سواء اتخذ من عنب أو تمر أو شعير أو أي مادة أخرى ما دامت قد تخمرت. و كذلك حرَّم ما يحدث الخدر و الفتور و كل ما يضر الجسد. كما سنبين بعد. أما
*2 ↑ バラモン教という言葉は、ヒンドゥー教とほぼ同義で使われることも多いです。