2.ヘレニズムとヘブライズム

 ヨーロッパ文明の基礎にはヘレニズムとヘブライズムがあるといわれるます。簡単に言えば、ヘレニズムというのはギリシャ思想であり、ヘブライズムというのは一神教と啓示解釈の伝統のことです。西洋思想の伝統においては理性と啓示というのは普遍的なテーマであり続けました。

 近年においても、たとえば、2006年9月12日にドイツのレーゲンスブルク大学でローマ教皇ベネディクト16世が「信仰、理性、そして大学―思い出と考察」というタイトルで講演を行いましたが、そのテーマは「信仰と理性の調和」であった、といいます。キリスト教の神学博士である森孝一は次のように説明しています。

 教皇が講演で訴えたかった中心的な内容は、「信仰と理性」の調和である。その背景には、今日のヨーロッパにおける「理性」が「信仰や宗教」と切り離された、いわゆる「世俗化」の状態にあることへの教皇の危惧がある。教皇が批判しているのは、ヨーロッパ世界における世俗化だけではない。教皇はキリスト教思想においても、信仰が理性と切り離されて、理性が軽視されることに対しては批判的である。教皇はキリスト教信仰における理性軽視の動きを「非ヘレニズム化」(dehellenization)という用語で説明する。
 キリスト教史における「非ヘレニズム化」について、教皇は三つの段階があったと指摘する。第一段階は一六世紀のプロテスタント宗教改革であると言う。宗教改革はキリスト教信仰の基礎を「聖書のみ」(sola scriptura)に置き、理性による哲学を排除したと考える。第二段階は一九世紀と二〇世紀における「自由主義神学」(Liberal Theology)である。すなわち、パスカルが「哲学者の神」と「アブラハム・イサク・ヤコブの神」を区別したように、理性と信仰を分離したと考えている。「非ヘレニズム化」の第三段階は現在である。現在の「多文化主義」においては、個別の文化の価値を高く評価しようとするために、ある文化のなかに移植(inculturate)された宗教の価値を低く評価する傾向がある。このような「多文化主義」的なキリスト教理解によれば、新約聖書をギリシア思想の影響を受ける以前の状態に戻して理解すべきであると考える。
 教皇はこのようにキリスト教史における「非ヘレニズム化」についてふれながら、一方でキリスト教の歴史には、信仰と理性の融合の流れが存在しており、それこそがヨーロッパの伝統であると主張する。
 教皇はキリスト教における理性と信仰の融合の例として、創世記第一章やヨハネによる福音書第一章の「言葉(ロゴス)」と神の結合や、ギリシア哲学とヘブライ的信仰の融合の実例として「セプチュアギンタ(70人訳旧約聖書)」(ギリシア語訳旧約聖書)、そして中世のギリシア哲学と神学の融合をあげている。さらに教皇は、このギリシア哲学と聖書的信仰の融合こそが、ヨーロッパを作り上げた基礎であると結論する」*1

 教皇は現代のヨーロッパにおける2つの方向性を批判しています。

 1つは、「世俗化」で、これは「信仰や宗教」の影響力が減少して「理性」が独り歩きする状態を指します。もう1つは、「非ヘレニズム化」で、これは根本主義にもつながりうるようなキリスト教信仰における理性軽視の動きを指します。そして、「世俗化」と「非ヘレニズム化」は右と左、プラスとマイナスのように、相反する概念です。

 これらの方向性を批判する教皇は、信仰と理性の融合を高く評価し、これこそがヨーロッパの伝統であるとしています。当然ながら、そこには、信仰と理性の融合の担い手はカトリックであり、ヨーロッパの伝統を担ってきたのはカトリックであるとの自負があります。

 ここで注目したいのは、中世のギリシア哲学と神学の融合がヨーロッパを作り上げた基礎である、とのローマ教皇の結論です。このようなギリシア哲学と一神教神学との融合というものは、実はイスラーム世界において開始されました。そして、ギリシア哲学は西洋に直接的に受け継がれたのではなく、イスラーム世界を経由して継受されました。

 キリスト教においても、イスラームにおいても信仰と理性の関係は重要な課題でした。この意味で、キリスト教とイスラームは兄弟宗教として同じような問題意識を有しています。さらに、あとで述べることになりますが、イブン・ルシュド(アヴェロエス)とその同時代人であるユダヤ教の大学者マイモニデスの両名が中世キリスト教神学に与えた影響を考えれば、ユダヤ教、キリスト教、イスラームが相互に影響を与えてきたことと、それによってある種の構造的な近似性が成立したことが見て取れます。

 したがって、「ヘレニズムとヘブライズムの融合に基づいたヨーロッパ文明の独自性」というものはたしかにあるのでしょうが、その独自性を強調しすぎてしまうことは、理性と信仰の融合がユダヤ教、キリスト教、イスラームにとって共通の課題であったことを見えにくくしてしまうおそれがあります。

 また、西洋文明の成立にはイスラーム文明の影響もありますが、西洋文明の独自性を強調しすぎてしまうと、イスラームの異質性を過度に強調することに繋がりかねない恐れもあります*2


*1 森 孝一「〈補説〉ローマ教皇によるイスラーム発言の背景‐教皇ベネディクト一六世の『ヨーロッパ』理解」森 孝一編『EUとイスラームの宗教伝統は共存できるか』明石書店、2006、pp.365-66.

*2 三木 亘は、西洋にとってのイスラーム認識とはそのアイデンティティーに関わる問題でもあるとして、「エドワード・サイードさんが『オリエンタリズム』と名付けているこのコンプレックスは、日本列島人の対中国意識とたいへん似ています。ヨーロッパ人・日本列島人、とくにその知識人層は十七、八世紀ごろまで、それぞれイスラム文明、中国文明の影響、刺激を受けて文明を形作ってきたところから、むしろ畏敬の念を持ってそれを見てきたのですが、ひとたび軍事的に制覇すると、一転、これを差別、侮蔑の対象とするようになった」(三木 亘『世界史の第二ラウンドは可能か』平凡社、1998、pp.31-32)と指摘している。
 同様に、現代のムスリムは自らの思想・行動様式・文化等が西洋文明の圧倒的な影響下にあるという事実を容易には認めようとはしないが、これもまた同様にアイデンティティーに関わる問題だからである。
 この点に関し、イスラームとは歴史的に没交渉であった日本人によるイスラーム研究は客観性が高くなるという側面と、西洋における膨大な研究蓄積に圧倒されているという側面との、両面が入り混じっているのが現状だと思われる。