さて、本題であるイスラーム思想ですが、一般的には神学、哲学、スーフィズム(イスラーム神秘主義思想、神智学)に代表されます。たとえば、井筒 俊彦『イスラーム思想史』(中公文庫、1991年刊)の構成は、第一部「イスラーム神学」、第二部「イスラーム神秘主義(スーフィズム)」、第三部「スコラ哲学―東方イスラーム哲学の発展」、第四部「スコラ哲学―西方イスラーム哲学の発展」という構成をとっています(ちなみに、全418頁の同書のうち法学にはpp.26-31の6頁が割かれています)。
著者は同書の執筆の目的を「すなわち本書は初期イスラーム思想(『哲学』という言葉を広義に解するならば初期イスラーム哲学史と言ってもいい)の発展史の大綱をたどることを
井筒の言う「思想」や「広義の哲学」を理解するには、ヨーロッパの大学の歴史を簡単にたどることが有益だと思われます。
勝田 守一によると、中世ヨーロッパの大学では、神学、法学、医学という上位学部と、哲学部という下位学部にわかれていましたが、近代的大学が生まれつつあった時代を生きたカントは、これら上位学部を統治者の庇護を受けるとともに拘束を免れ得ないものと理解し、哲学部には保護と奨励を受けず自由であると認識していました*1。
カントの大学論は平野 一郎によって次のように纏められています。
カントは大学における学者の職分から論を進めている。かれによれば学者は大学に属する学者と、そうでない学者にわかれ、前者は学問の諸部門にしたがつてそれぞれ学問の委託者として任命されたものであり、そこに一種の学者共同体すなわち大学が形成きれ、それは本質的に ―学者については学者のみが判断しうるから― 自治をもつものである。これ以外に大学には将来官職(聖職者、司法官、医師)につくために学ぶものがいるが、これらの実務家は政府の道具として政府の命令に従かねばならない。ところで大学の学部はこれらの実務家養成の神、法、医の上級三学部と下級哲学部とにわかれているが、この実定的な学問を対象とする上級学部と、理性的な学問を対象とする下級学部との区別は、カントによれば学問そのものにではなく、政府が学問に対してもつ関心にもとづいており、したがつて上級三学部では「民衆に最も強力で永続的な影響を与えるもの」がその対象となり、しかも政府はその学説を認可する権利をもつものに対し、下級学部は―理性の自由な本性にもとづき、自由なくして真理を開陳しえないから―政府の命令から独立に、自由に理性が公的に語る権能を持つのである。
(中略)
神、法、医の上級三学部は「上級者の我意から発した(間接的にすら理性から発しない)学説すなはち学則(Statuten)が与えられ」それへの服従が要求される。したがつて「聖書神学者は―上級学制に属するものとして―かれの学説を理性からでなく聖書から、法学者は自然法からでなく国法から、医学者は……治療法を人体の生理からとともに衛生法規からくみとっている」。
(中略)
哲学部は「政府の立法のもとにでなく、自由にそして理性の立法のもとに立つものとして」考えられねばならず、しかも哲学部には「(学問一般の本質的なかつ第一条件たる)真理が問題であるから」その点で上級三学部を統制し、かくすることによって上級三学部に有用なものになるべく努力するのである*2。
この哲学部に文学や科学も含まれてゆくようになってゆくのが、西洋の大学の大ざっぱな歴史です*3。
以上のカントの議論の中で重要な点は、
1.神学、医学、法学が職業的専門家を育成する実学として扱われ、為政者の庇護と拘束を受けていたこと、
2.哲学は統治とは無関係な学問で、自由であったこと、
3.学問の方法論として、神学は聖書に、法学者は国法(実定法・人定法)に、医学は人体の生理と衛生法規に服従していたこと、
4.学問の方法論として、哲学は、自由と理性に立脚していたこと、
という以上4点に纏められるかと思います。ヘレニズムとヘブライズムという分け方で言えば、神学、法学、医学がヘブライズム的あり方に近く、哲学がヘレニズム的あり方に近い、とも言えるでしょう。
この様に見てゆくと、井筒俊彦が『イスラーム思想史』で扱おうとしたのは、人間の理性の自由な飛翔としての「思想」や「広義の哲学」であったことが推測されます。
事実、同書の第1部「イスラーム神学」では、「神の予定論(宿命論)」、「信仰と異端」、「正義」、「属性と神の本質」、「擬人神観」、「原子論(原子=基体+偶有→実在)」、「認識(知識)論」、「言語論」や各派の相違が簡潔に分かり易く記されていますが、六信のうちの「天使」、「経典」、「使徒」、「終末」に関しては殆ど論じられていません。
第2部「イスラーム神秘主義」は紙幅が短いこともあって凝縮された記述ですが、新プラトン主義の流入、「愛」の観念、バグダード派とホラーサーン派の思想という初期スーフィズム思想の発展が説かれます。
第3部と第4部は、アラビア語でファルサファと呼ばれる、ギリシア起源のフィロソフィー(哲学)を扱います。これらの主題は人文主義的で普遍的、また西洋人にも馴染みやすいことから、長年に亘る研究の蓄積があります。
また、平凡社の『中世思想原典集成』シリーズの第11巻『イスラーム哲学』(2000年刊)には、ガザ-リー著、中村廣治朗訳「イスラーム神学綱要」が収められていますが、その「第4部 預言者性と来世の出来事」は紙数の関係で省略されていますが*4、第4部がイスラーム哲学にとって本質的ではないための措置とも思われます。
*1 ↑: 勝田 守一「大学の自由と自治-歴史的背景を顧みて-」『教育学研究』Vol.29 , No.1(1962), pp.21-26
http://joi.jlc.jst.go.jp/JST.Journalarchive/kyoiku1932/29.21
*2 ↑: 平野 一郎「カントの大学論」『教育学研究』Vol.23 , No.5(1956), pp.7-8
http://joi.jlc.jst.go.jp/JST.Journalarchive/kyoiku1932/23.5_2
*3 ↑: 山下 正男「法律学と論理学」『法哲学年報』Vol.1971 (1972) http://joi.jlc.jst.go.jp/JST.Journalarchive/jalp1953/1971.75、椎名 萬吉「ドイツにおける大学の近代化過程にみられる大学論の諸相(I)」『教育学研究』Vol.32 , No.2-3(1965) http://joi.jlc.jst.go.jp/JST.Journalarchive/kyoiku1932/32.94、 等を参照した。
*4 ↑: 同訳に用いられた底本の本文は257頁で、省略されたのは第202-257頁の56頁分、全体の約22%に相当。