さて、ここで小さな疑問がわきます。果たして、ハワーリジュ派とは、単に離脱した人々なのでしょうか。例えば、黒田壽郎はハワーリジュ派に焦点を当てた唯一の日本語の研究書である『イスラームの反体制派 ―ハワーリジュ派の世界観』(未来社、1991年)において、シャフラスターニーの『諸宗教と諸宗派』を典拠として以下のように同派を定義しています。
周知のことながら、ハワーリジュ派(al-Khawārij)とは、ヒジュラ歴37年、スィッフィーンでムアーウィヤと戦ったアリーの本軍から離脱した(kharaja)一党ならびにその後継者たちを指すものである(同書、13頁)。
しかし、実際にシャフラスターニーの『諸宗教と諸宗派』を読んでみると、その意味合いは少し違います。同書のハワーリジュ派の定義を訳出すると以下のとおりとなります。
(ムスリムの)集団が合意した真のイマーム(カリフ)に対して反逆(kharaja ‘alā)したもの全ては、教友達の時代における正統カリフたちに対する反逆であれ、その後の後継世代やあらゆる時代におけるイマーム(カリフ)たちに対する反逆であれ、ハーリジー(ハワーリジュの単数形)と名付けられる*16。
上記の定義においては、単なる「離脱」ではなく、「反逆(kharaja ‘alā)」という言葉が使われていることが分かります。これは、法学書の定義する「叛徒」とほぼ同様であることが分かります*17。実際、法学書の叛徒の項目ではハワーリジュ派がその例として挙げられます*18。
叛徒は罪人ではあるものの、信仰者と見なされます*19。その根拠としては、クルアーン(コーラン)の49章9-10節「またもし、信仰者たちの2派が闘争すれば、おまえたちは双方の間を正せ。そして、もし一方が他方に不当に振舞えば、不当に振舞う側と、そちらがアッラーのご命令に戻るまで戦え。それでもしそちらが戻れば、双方の間を公正に正し、公平にせよ。まことに、アッラーは公平な者たちを愛し給う。信仰者たちは兄弟にほかならない。それゆえ、お前達の兄弟両者の間を正し、アッラーを畏れ身を守れ。きっとお前達も慈悲を掛けられるであろう」が挙げられ、これによって叛徒は信仰者であり兄弟であると解釈されています。
なお、ハワーリジュ派以外の初期神学派としては、あるムスリムが「信仰者か不信仰者であるかの判断は、最後の審判の日に神の判決が下るまで保留すべき」*20とするムルジア派、極端な予定論を唱えるジャブル派、これに対して人間の自由意志を認めるカダル派等があります。ただ、これらの諸派は体系的な神学を形成するにはいたりませんでした。従って、これらの後に出てきたムウタズィラ派がイスラーム史上発の体系的神学派と呼ばれることになります。
*16 ↑
*17 ↑ 叛徒については、中田考「イスラーム法学における「内乱」概念 ―イブン・タイミーヤの批判を手がかりに―」 『AJAMES』 NO.5, 1990、堀井聡江『イスラーム法通史』山川出版社、2004年、64-65頁、等参照。
*18 ↑ 例えば、アル=マーワルディー著 湯川 武訳 『統治の諸規則』 慶應義塾大学出版会、2006、138-140頁、松山洋平著『イスラーム私法・公法概説 ―公法編』日本サウディアラビア協会、2008、148-151頁参照。
*19 ↑
*20 ↑ 小林 春夫 1993:p.53