欧米の学問(サイエンス)からみた仏教理解について大変わかりやすい説明が、小室直樹の『日本人のためのイスラム原論』に記載されています。
では、仏教とはいったい誰の教えなのか。
【答え】誰の教えでもない。
仏教は思想ではない。それはむしろ、科学に近い。
そのことを理解する補助線として、たとえば万有引力の法則を考えてみるとよい。
読者もご承知のように、万有引力の法則はニュートンが発見したわけだが、ニュートンが発見しようとしまいと、この法則は宇宙が作られたときからずっと存在していた。(中略)ニュートンは、それを法則という形で提示したにすぎない。
仏教における釈迦の役割も、また同じである。
菩提樹の下で、釈迦は「法(ダルマ)」を発見した。
法とは、すべてを貫く道徳法則である。
人はなぜ生まれるのか。
人はなぜ老いるのか。
(中略)
したがって釈迦が発見しようとしまいと、「法」は厳然としてそこに存在している。
(中略)
仏教においては、まず「法(ダルマ)」があり、それを釈迦が発見した。これを一言で表わせば「法前仏後」ということになる*1。
「仏教は科学に近い」との命題は日本で一般的に理解されている仏教観とはかなり相違するものではないかと思います。
しかし、欧米諸国ではこのような仏教理解が一般に流布しているように思われます。つまり、外側から見ると仏教というものはこのように見えるのです。
現代のアラブ諸国の高等教育はイスラーム固有の学問(シャリーア学)やそれに由来する思想を除けば、欧米の学問の影響が非常に強く出ています。現代アラブ知識人(宗教知識人、ウラマーを除く)との対話にとって、欧米の学問はかなり有効な手段です。
従って、日本人が日本の文物(ここでの例は日本的仏教)をアラブ諸国に紹介する場合には、自らが知っていると思い込んでいる日本に関する知識を一度外側の視線(例えば欧米の学問)によってもう一度捉え直し、その上で再度説明し直す必要があります。
日本人にとって日本の文物を説明することが意外に難しいのと同様に、ムスリム(イスラーム教徒)がイスラームについて説明することも困難を伴う場合があります。「自明のもの」を説明するのは難しいものです。その意味で、対話の意義というものは、自分にとって「自明のもの」が他人にとっては必ずしもそうではないということを発見することにあるのかもしれません。
(K.S.)
*1 ↑ 小室直樹 『日本人のためのイスラム原論』 集英社インターナショナル、2002年、77-79頁