仏教への関心

 一般的に、アラブ圏では宗教に関する議論があまりタブーとされず、比較的気軽に宗教談義が行われています。もちろん、それぞれの国で避けた方がよい宗教的話題というものはありますが、その大半は政治的な理由によってあまり人々が話したがらない主題だからではないかと思います。例えば、少数宗派が国政を握っている場合にその宗派について語ることが政治的禁忌となったりします。それでもやはり、比較すれば宗教に関する話題が上ることが多いように思われます。

 日本人がアラブ圏に行った際、あなたの宗教は何ですかと問われることがあります。この際に、無宗教ですと答えると誤解を招くことがあります。まず、宗教は倫理を基礎づけるものとして理解されていますので、無宗教という言葉が「無倫理」として理解されかねません。また、かつて共産主義が無神論の宣揚と宗教勢力の排除を目指したことから、無宗教という言葉が共産主義のイメージをまとっていることも事実です。

 そこで、とりあえず仏教であるとか神道であると答えるようにすすめる中東概説書もあります。現実的な対応としてそれなりに有効ではないかと思います。

 さらに、仏教に関して言えば、次のような質問がなされることが多いです。

 (1)ブッダは預言者なのか

 (2)仏教は科学や哲学なのか

 まず、(1)の質問の背景には、クルアーン(コーラン)の中にアッラーが各民族に預言者を派遣した*1との記述があること、イスラームに経典の民という概念があるために預言者を戴く宗教に親近感があること、が挙げられると思います。

 (2)の仏教は科学や哲学なのか、という質問は主に知識人から聞かれる質問です。これは恐らく、現代ではアラブ圏に於いても欧米で学んだ研究者による比較宗教学の著作が出版されていることによるのではないかと思います。

(K.S.)


*1 クルアーン13章7節、「あらゆる民に導き手はいるのである。」

وَلِكُلِّ قَوْمٍ هَادٍ. الرعد، 7

“ولكل قوم هاد” نبي يدعوهم إلى ربهم بما يعطيه من الآيات لا بما يقترحون. تفسير الجلالين

 クルアーン16章36節、「確かにわれらはすべての共同体に使徒を遣わした。」

وَلَقَدْ بَعَثْنَا فِي كُلِّ أُمَّةٍ رَسُولًا. النحل، 36

وبعث في كل أمة أي في كل قرن وطائفة من الناس رسولا. تفسير ابن كثير