クルアーン(コーラン)はアラビア語のみが正文

 「クルアーンとはアラビア語原典のみをさし,他言語への翻訳は解釈の一種とされる」*1ことは、現在ではかなり広く知られ、ウィキペディアのクルアーンの項目にも同趣旨の記載があります。ただ、この様な説明ではまだ理解を得にくいとの印象を筆者は持っています。
 さて、国際条約や国際的な契約書では、「正文」という概念があります。これは、「国際条約で条文解釈上の拠りどころとなる特定語の文」*2を意味します。クルアーンはアラビア語のみが正文です。従って、クルアーンの翻訳は「クルアーンそのもの」ではなく、同様の効力もありません。この様に説明すると、分かって下さる方もいるようです。
 例を挙げて説明してみます。
 A国とB国が二国間条約を結んだとします。同条約がA国語とB国語により書かれ双方共に正文であるとされた場合、両国の間に同条約をめぐる見解の相違が生じた場合には、各国語により書かれた条約文を元に、議論を戦わせることとなります。他方、この二国間条約がA国語で書かれたもののみを正文とした場合、B国語による訳文は参考情報としての地位に留まり、両国が議論を戦わせる場合にはA国語で書かれた条文の解釈を巡って争うこととなります。
 クルアーンの場合はどうなるでしょうか。仮に、共に非アラブであるA国人とB国人との間にクルアーンの解釈を巡って見解の相違が生じたとします。A国人はA国語のクルアーン訳を、B国人はB国語のクルアーン訳を元にそれぞれ主張したとします。この場合には、どちらのクルアーン訳も参考情報に留まるため、議論は進みません。もちろん、参考情報にも信頼性の違いはありますが、信頼性つまり翻訳の精度を計る基準となるのは正文であるアラビア語のクルアーンとなります。この様に、議論を深めたければアラビア語で書かれたクルアーン、つまりクルアーンの原典そのものにあたりつつ討議する必要があります。
 この様に書くと、アラブ人が特権的な地位にあるような印象を与えるかもしれません。なぜならば、アラブ人と非アラブがクルアーン解釈を巡って争う場合、正文を有するアラブ人の方が有利だからです。
 しかしながら、実際にはアラブ人であると言うだけでクルアーンを容易に理解できるわけではありません。そもそも、アラビア語のクルアーンが難解であったからこそ星の数ほどのクルアーン注釈書が編まれてきたのであり、これらの注釈書はいわばすべて参考情報であってクルアーンそのものではない以上、信頼性には濃淡があります。
 アラブ人だからと言って最終的な解を有しているわけではありません。定評のある注釈書だけでも相当な数があり、普通に教養のあるアラブ人であればこれらを参照して自らのクルアーン理解とします。しかし、注釈書を執筆できるような学者になるには、素質だけでは不十分で、相当な年月の研鑽を必要とします。
 アラビア語のクルアーン原典のみが正文として扱われるというのは、イスラームの非常に大きな特徴です。イスラームの学問をある程度専門的に習得するにはアラビア語の知識が不可欠となるため、非アラブであってもウラマー(学者達)となるにはアラビア語が必須とされました。これによりイスラーム圏にはある程度の共通性ないし均質性がもたらされたと思われます。
 なお、礼拝などの宗教儀礼に用いられるのがアラビア語のクルアーンのみであり、各語訳を用いることが許されていないという事実も、クルアーンはアラビア語のみが正文であることを示しているかと思います。
(K.S.)


*1 小杉泰「クルアーン」『岩波イスラーム辞典 CD-ROM版』
*2 岩波書店 広辞苑 第六版 DVD-ROM版