クルアーンの定義

 最も一般的なクルアーンの定義は「①神の言葉であり、②預言者ムハンマドに下された、③アラビア語による、④我々に絶対多数の伝承によって伝えられた、⑤ムスハフに記された、⑥その読誦が敬神行為であり、⑦その章の最短のものであっても奇跡であり、⑧開扉章によって始まり、⑨人々章によって終わるもの」というものです*1

 以下、それぞれ簡単に説明していきます。

①神の言葉

 神の言葉である、というのはどのような意味でしょうか。

 イスラーム学では言葉には2種類あるとしています。すなわち、発話されることによって耳で聞き取れる言葉(الكلام اللفظي)と、発話されずに頭や心の中にある言葉(الكلام النفسي)の2種類です*2

 クルアーンの中にも、「ユースフはそれを自分のうちに秘め、彼らにはそれを明かさなかった。彼は(心の中で)言った『お前たちの立場はいっそう悪い』」*3とあるように、発話されない言葉の存在が認められます。

 イスラーム法学者、イスラーム法基礎論学者、アラビア語学者による理解によれば、クルアーンが神の言葉であるというのは、耳で聞き取れる言葉、という意味に於いて神の言葉であるということです。これにより、クルアーンは法源として機能し、アラビア語学者はクルアーンの奇跡性を証明する、といった学問が成り立つことになります。また、神学者もクルアーン等の啓典の信仰の義務性や、預言者ムハンマドの預言者性の証明の一環としてクルアーンの奇跡性を論じたりする際には、耳で聞き取れる言葉としてのクルアーンを扱います*4

②預言者ムハンマドに下された

 これは、預言者ムハンマドに啓示された、という意味です。神とムハンマドをつなぐ存在がジブリールです。

③アラビア語による

 クルアーンの言葉はアラビア語です。但し、クルアーンを暗記している人が全員アラビア語を話せたり読み書きできるわけではなく、非アラブ人で子供の頃から耳で聞いて覚えさせる習慣のある地域では、クルアーンを読めてもその意味が分からないと言ったことが生じ得ます。

④我々に絶対多数の伝承によって伝えられた

 絶対多数の伝承とは、タワートゥル(التواتر)と呼ばれます。これによってクルアーンは改竄などを免れています。これは、歴史的事実(例えば関ヶ原の戦い等)が、その発生を「直接」目で見たりして確証されることがないにもかかわらず、絶対多数の伝承があればその発生が「間接的に」確証されるのと同様の原則に基づいています。

⑤ムスハフに記された

 書物としてのクルアーンをムスハフと言います。

 その名前の由来は以下のとおりです。第1代正統カリフのアブー・バクルがクルアーンの第1次結集を行った際、書物として集められたクルアーンをどのように呼ぶかが相談された際、「福音書(إنجيل)」、(創世「記」、出エジプト「記」等の)「記(سِفْر)」といった名前も案として出されたもののキリスト教やユダヤ教の影響が強いとして避けられました。その後、エチオピアでは書物のことを「ムスハフ」と呼ぶのでこの名前が良いのではないかという提案がなされ、ムスハフという名前に決まりました*5。なお、ムスハフとはアラビア語で「紙に記入されたもの」*6、書物を意味します。

⑥その読誦が敬神行為であり

 イスラームでは1日5回の礼拝がありますが、そのたびにクルアーンが読まれます。クルアーンの読誦は礼拝にとって必要不可欠な一部です。また、冠婚葬祭などでもクルアーンが読まれます。ラマダーン月(斎戒の月)などではクルアーンの読誦が推奨されます。

 なお、イスラーム圏などのモスクから大音量で流されるのはアザーンという名称の「礼拝への呼びかけ」であり、クルアーンとは違います。

⑦その章の最短のものであっても奇跡であり

 クルアーンが下された頃のアラブには多くの有能な詩人がいました。彼ら詩人はクルアーンを超える表現を作ろうとしたものの、それが果たされることはありませんでした。預言者ムハンマドに敵対した人々もクルアーンの美しさは認めていたようです。当時から今に至るまで、クルアーンを超えるアラビア語の作品は存在しないといわれます。

 これが、クルアーンが奇跡であるとされる最大の根拠です。

⑧開扉章によって始まり⑨人々章によって終わる

 クルアーンは全部で114章ありますが、一番最初の章の名前が開扉章、一番最後の第114章が人々章と呼ばれます。

(K.S.)


*1

و أشهر تعريف للقرآن الكريم هو : (( كلام الله تعالى، المُنزَّل على سيدنا محمد (ص)، باللفظ العربي، المنقول إلينا بالتواتر، المكتوب بالمصاحف، المتعبد بتلاوته، المعجز باقصر سورة منه، المبدوء بسورة الفاتحة، المختوم بسورة الناس)).

*2

أنظر مناهل العرفان في علوم القرآن، دار قتيبة، ج1، ص 28.

*3

فَأَسَرَّهَا يُوسُفُ فِي نَفْسِهِ وَلَمْ يُبْدِهَا لَهُمْ قَالَ أَنْتُمْ شَرٌّ مَكَانًا..(يوسف:77).

*4

و إنما عُنِي الأصوليون و الفقهاء بإطلاق القرآن على الكلام اللفظي، لأن غرضهم الاستدلال على الأحكام و هو لا يكون إلا بالألفاظ، و كذلك علماء العربية يعنيهم أمر الإعجاز، فلا جرم كانت وجهتهم الألفاظ. و المتكلِّمون يُعْنَوْنَ أيضاً بتقرير وجوب الإيمان بكتب الله المنزلة و منها القرآن، وبإثبات نبوة الرسول (ص) بمعجزة القرآن. و بدهي أن ذلك كله مناطة الألفاظ، مناهل العرفان في علوم القرآن، دار قتيبة، ج1، ص 29.

*5

حكى المظفري في تاريخه قال: لما جمع أبو بكر القرآن قال: سمّوه. فقال بعضهم: سموه إنجيلا، فكرهوه، و قال بعضهم: سموه سِفْرا، فكرهوه من يهود. فقال ابن مسعود: رأيت بالحبشة كتابا يدعونه المصحف، فسموه به.
قلت: أخرج ابن أشته في كتاب [المصاحف] من طريق موسى بن عقبة، عن ابن شهاب قال: لمّا جمعوا القرآن فكتبوه في الورق، قال أبو بكر: التمسوا له اسما، فقال بعضهم: السفر، و قال بعضهم: المصحف؛ فإن الحبشة يسمونه المصحف. و كان أبو بكر أول من جمع كتاب الله و سماه المصحف.
السيوطي، الإتقان في علوم القرآن، دمشق، دار ابن كثير، 1996، ج1، ص 164-165.

*6 中田 考 『正典としてのクルアーン』 ムスリム新聞社、2007年、8頁。