以上のような議論を経て、現代最も一般的な定義は次のような内容です。
サハーバとは、(ムハンマドが)預言者(であると)信じている状態で預言者に会い、イスラームの状態で死んだ者である。*1
以上の定義は、14-15世紀の学者によって定式化されたものですが、現代でも最も一般的な定義として広く知られています。重要なのは、預言者ムハンマドを信じる者、つまりムスリム(イスラーム教徒)として預言者に会い、ムスリムとして死亡したという条件です。サハーバとは言語上は「付き従った者」ですから、ある程度の期間を預言者と共にしなければサハーバとは見なされないとの見解も一定の根拠がありますが、前節で見たような議論を経てサハーバを広く捉える見方が優勢となりました。
さらに、この定義は以下のように続きます。
この定義の中には、預言者に会った者のうち、預言者と長く同席した者も、短く同席した者も、(ハディースを)伝えている者も、伝えていない者も、共に戦役に出た者も、出なかった者も、たとえ同席することがなかったとしても預言者を一瞥した者も、盲目のような偶有によって預言者を見なかった者も含まれる。
また、信仰という条件によって、(ムハンマドが)預言者(であると)信じない状態で預言者に会った者は、たとえその後ムスリムになったとしても、預言者にもう一回会わない限りは、この定義から外れる(つまり、サハーバとは見なされない)。*2
サハーバと見なされるためには、(1)出会い、(2)信仰の2条件が必要とされます。そして、サハーバを広く捉えた上で、サハーバ間の位階について論証するという方法論をシャリーア学は採りました。これによって、サハーバの言語上の意味である「付き従った者」が上位に位置づけられることにより、広い捉え方と狭い捉え方の統合が図られたとも言えるでしょう。
(K.S.)
*1 ↑
و أصح ما وقفت عليهه من ذلك أن الصحابي من اقي النبي (ص) مؤمناً به و مات على الإسلام
*2 ↑
فيدخل فيمن لقيه من طالت مجالسته له أو قصرت و من روي عنه أو لم يرو و من غزا معه أو لم يغزُ و من رآه رؤية و لو لم يجالسه و من لم يره لعارض كالعمي،، و يخرج بقيد الإيمان من لقيه كافراً ولو أسلم بعد ذلك إذا لم يجتمع به مرة أخرى.