ハディース学による議論

 ムスリムによるイスラーム研究(シャリーア学)においては、サハーバ(預言者ムハンマドの教友)に関する研究を主に担ったのはハディース学者達でした。ハディース学者達の関心は、預言者ムハンマドのハディース(言行録)が後代にきちんと伝えられてきたかどうかを確認することでしたから、預言者ムハンマドの謦咳に接した人が誰であるのかという定義は重要な問題でした。

 13世紀頃のハディース学書では次のように定義されています。

 学者達はサハービー*1とは誰であるのかにおいて見解を異にしている。ハディースの徒の間での通説は、ムスリムで神の使徒を見た者は全員サハーバの一員である、というものである。

 ブハーリーはその『サヒーフ・ブハーリー』において、

 ムスリムのうち、預言者に付き従うか預言者を見た者は、その教友の一員である。

と述べている。また、アブー・アル=ムザッフィル・アッ=サムアーニー・アル=マルーズィーは次のように語ったと伝えられている。

 ハディースの徒は、サハーバという単語を、預言者のハディースや言葉を伝えた者全てに適用している。さらに彼らは、預言者を一目見た者もサハーバの一員として数えるまでに、広く捉えている。これは、預言者の地位の高貴さによるのであり、彼らは預言者を見た者全員に、サハーバとしての判断を与えている。

 それから、彼はサハーバという言葉は、言語上また字義上は、預言者との親交(スフバ صحبة)を長くし同席を多くして彼に従い薫陶を受けた者を意味する。彼は次のように言う。

 これが、イスラーム法源学者達の見解である。

 私の見解は次の通りである。サイード・ブン・アル=ムサイヤブは神の使徒に1年ないし2年付き従い、彼とともに1回ないし2回戦役に加わった者以外はサハーバのうちに数えなかった、と我々は伝える。もし、それが事実であったとしたら、その意図するところは法源学者達の見解と同様であるように思われる。

 しかしながら、彼(サイード・ブン・アル=ムサイヤブ)の限定的な定義によると、サハーバの一員と見なされることに異論が存在しないと我々が承知している者達のうち、ジャリール・ブン・アブド・アッラー・アル=ジャバリーや、彼と同様に表面的な条件を満たさない者たちが、サハーバとは見なされないことになってしまう。ムーサ-・アッ=サバラーニーからシュウバ経由で我々が伝えるところでは

 私はアナス・ブン・マーリクのところに行き、「神の使徒のサハーバ(أصحاب)の中で、あなた以外に今も生きている人はいますか?」と言いましたところ、彼は「神の使徒を見た砂漠のアラブ人たちが生き残っているが、神の使徒に付き従った者は(私を除いては)生き残っていない」と言いました。

 この伝承経路は良好であり、ムスリムはアブー・ズルアに関連して述べている。

 そして、ある人物がサハーバであると言うことは、不特定多数による伝承(التواتر)によって知られる場合もあれば、不特定多数には至らないまでも多数による伝承(الاستفاضة القاصرة عن التواتر)によって知られる場合もあれば、サハーバ達の一人(آحاد الصحابة)によって某はサハーバであると伝えられることによる場合もあれば、誠実さ等(العدالة)が確定した人物であれば自分自身がサハーバであると述べたり伝えたりすることによって(知られる場合もある)。神は最も良く知り給う。*2

(K.S.)


*1 サハービーが単数形で、サハーバは複数形です。従って、正確にはサハーバが教友達、サハービーが教友(単数)と使い分けなければならないのですが、日本語には単数形と複数形の区別がはっきりと存在しないため、今のところ日本語では単数形でも複数形でもサハーバと呼ばれており、特にこれによる混乱も生じていないようです。

*2

علوم الحديث لابن الصلاح، دمشق، 1986، ص 293-294
اختلف أهل العلم في أن الصحابي من‏؟‏ فالمعروف من طريقة أهل الحديث‏:‏ أن كل مسلم رأى رسول الله – صلى الله عليه وسلم – فهو من الصحابة‏.‏ قال ‏البخاري‏‏ في ‏صحيحه‏‏:‏ ((من صحب النبي – ص – أو رآه من المسلمين، فهو من أصحابه‏)).‏ وبلغنا عن ‏أبي المظفر السمعاني المروزي‏ أنه قال‏:‏ (( أصحاب الحديث يطلقون اسم الصحابة على كل من روى عنه حديثاً أو كلمة، ويتوسعون حتى يعدون من رآه رؤية من الصحابة، وهذا لشرف منزلة النبي – ص-، أعطوا كل من رآه حكم الصحبة‏)).
وذكر‏:‏ أن اسم الصحابي من حيث اللغة، والظاهر يقع على من طالت صحبته للنبي – ص- وكثرت مجالسته له على طريق التبع له والأخذ عنه‏.‏ قال‏:‏ ((وهذا طريق الأصوليين‏)).‏
قلت‏:‏ وقد روينا عن ‏سعيد بن المسيب‏‏ أنه كان لا يعد الصحابي إلا من أقام مع رسول الله – ص- سنة أو سنتين، وغزا معه غزوة أو غزوتين‏.‏ وكأن المراد بهذا إن صح عنه راجع إلى المحكي عن الأصوليين‏.
ولكن في عبارته ضيق، يوجب ألا يعد من الصحابة جرير بن عبد الله البجلي ومن شاركه في فقد ظاهر ما اشترطه فيهم، ممن لا نعرف خلافاً في عدِّه من الصحابة‏.‏ وروينا عن شعبة عن موسى السبلاني وأثنى عليه خيراً قال‏:‏ أتيت أنس بن مالك فقلت‏:‏ هل بقي من أصحاب رسول الله – ص- أحد غيرك ‏؟‏ قال‏:‏(( بقي ناس من الأعراب قد رأوه فأما من صحبه فلا))‏.‏ إسناده جيد، حدَّث به ‏مسلم‏ بحضرة ‏أبي زرعة‏‏‏.‏
ثم إن كون الواحد منهم صحابياً‏:‏ تارة يعرف بالتواتر، وتارة بالاستفاضة القاصرة عن التواتر، وتارة بأن يروى عن آحاد الصحابة أنه صحابي، وتارة بقوله وإخباره عن نفسه – بعد ثبوت عدالته – بأنه صحابي، والله أعلم‏.‏