●どうしておまえたちにアッラーを否定できようか(未完了形)。御前達は死んでいたが、彼が御前達を生かした(完了形)。それから彼は御前達を死なせ、それから彼は御前達を生かし、それから御前達は彼の許に戻されるのである(未完了形)〔2:28〕
[1]同節の「御前達は死んでいたが」以下は、次のように解釈される。御前達は父の腰で精子として死んだ状態であったが神が御前達を生きた者とし、それから神はこの生が終わった後に御前達を死なし、それからまた死後に御前達を蘇らし、それから御前達を裁く*1。
また、無生物が死んでいるとの表現はおかしいのではないかと説くものは次のように反論される。クルアーンには、「死んだ土地」〔25:49〕、「死んだ大地」〔36:33〕、「(偶像が)死んだもので、生きてはいない」〔16:21〕のように生きていないものに死という表現は使われている。また、(死んだ生物も無生物も)霊魂もなければ感覚もないという点で一致しているため、(死という言葉が無生物にも)比喩的に使われうる*2。
第2の生とは何かとの問いに対しては、次のように答えよう。
①「それから彼は御前達を生かし」が墓中での復活を意味し、「それから御前達は彼の許に戻される」が復活の日の蘇りを意味する。
②「それから彼は御前達を生かし」が復活の日の蘇りを意味し、「それから御前達は彼の許に戻される」が(アッラーによる)応報への過程を意味する*3。
なお、ザマフシャリーの注釈書はクルアーン40章11節の解釈に関し、2章28節の解釈を参照するようにとしています。
ザマフシャリーの解釈を整理しますと、以下のようになります。
[1]死を霊魂と感覚の不在と理解する解釈。この場合、無生物も死とされる。
- 第1の死=精子の状態
- 第1の生=霊魂が吹き込まれた状態
- 第2の死=現世における死
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①第2の生=復活の日の蘇り(النشور) ②第2の生=墓中ので復活(الإحياء)
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審判への過程 (第3の死?)
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復活の日の蘇り(النشور)
上記解釈はタバリーの[1]【3】の内容とほぼ同じですが、墓中での復活の有無によって解釈が分岐しているのがタバリーとの最大の違いです。
*1 ↑
*2 ↑
*3 ↑