纏め

 以上、8注釈書に表れた見解を纏めてみました。

 これらのうち、1.と2.は内容的に近似しています。両者とも、第1の死を人間が生まれる前の状態、例えば精子の状態などを指しています。両者の違いは、この状態を死の本義と理解するか転義と理解するかの違いに過ぎません。従って、この解釈が最も広く支持されたといえるでしょう。

 この場合、死を本義として理解するとは、無生物が「生きていない」という意味で「死んでいる」と言うことを意味します。

 これに対し、死を転義として理解するとは、人間が現世に生を受ける以前の状態を、取るに足らない存在、社会的に認知されない存在として「死」と呼んでいます。なお、このような用法での「死」は、「死語」といった日本語の中にも見られます。

 1.と2.の範疇には墓中での生死の有無により下位範疇が分岐して存在し、この章句からは墓中での生死を読み取らない見解の方が優勢ですが、ラーズィーは墓中での生を積極的に読み取ります。

 3.は「生 → 死」という変化を死とする解釈で、墓中での生死を認める内容になります。下位範疇として(1)と(2)がありますが、この解釈は死の前には生があるという認識を前提としているため、両者の差は本質的なものではなく、形式的な違いであるといって間違いないと思われます。この解釈を取る諸見解のうち、ラーズィー[2]は「それから」という言葉の使い方に注目し、現世での死の前に現世での生を読み込む解釈を行っており、3.の諸見解の中では整合性が高いものとなっています。なお、クルトゥビーは学者達が40章11節をもって墓中での生死を確定しているとします。

 4.は「原初の契約」を含んだ解釈です。「原初の契約」とはクルアーン7章172~173節を根拠とし、神がアーダム(アダム)の腰の中から人間達を粒子のような存在として引き出し、人間達は神が自分たちの主であると承認したとするもので、アル=ミーサーク(الميثاق)と呼ばれます。

 クルアーン2章28節と40章11節を巡る様々な解釈は、主に以上の4つに大別することが出来ます。

 クルアーン注釈書の数は多く、主題や方法論毎に多様な姿を見せています。今回ご紹介できたのはその一部分ではありますが、古典期の見解の基本的枠組みを理解するには有用と思われます。

(K.S.)