これまでの議論の骨子を纏めますと、
①救済はアッラーの慈悲のみによります。
②救済と行為との関係は、(1)慈悲によって天国に入った後、行為によって諸階層に分けられるという考え方と、(2)神の恩寵によって人間が行為を行い、その行為が神の慈悲によって嘉されて楽園に入れられるという考え方があります。
③神が善人を火獄に入れたとしてもそれは神の正義に反しませんが、神は慈悲によってそのような行為を行いません。
④人間の理性には限りがあるため、アッラーの存在、天使の存在といった信仰に関わる部分から、礼拝、斎戒といった行為規範に関わる部分まで、全ては理性のみによって演繹することは出来ず、アッラーからの啓示が必要とされます。
⑤真理について無知な者、イスラームの宣教の到達しなかった者は、「中間時の民」と呼ばれ、来世に於いて免責されます。
⑥イスラームの宣教の内実については議論が分かれています。
⑦誰が救済されるのかはアッラーのみが知り、決めることです。
⑧非ムスリムは不信仰者(カーフィル)と呼ばれ、経典の民(キリスト教徒、ユダヤ教徒)、無神論者などが含まれます。
⑨非ムスリムの救済はアッラーのみが知っており、その公正さによって処遇されます。
⑩現代の非ムスリムは「中間時の民」に準じるとの見解も存在します。「中間時の民」はクルアーンの章句により来世で懲罰を受けないことが分かっています。
イスラームの考える救済は、一般に思われているよりもずっと幅があり奥の深いものです。
(K.S.)