これに対し、アッラーフという言葉が固有名詞ではないと主張する者達は次のような根拠を立てている。
第1の根拠。クルアーンに「また|【彼】|アッラーフ|おいて|諸天に(また、彼は諸天においてアッラーフである)」(6章3節)、そして「【彼】|アッラーフ|【関係代名詞】|神はいない|【彼】のほかには」(59章22、23節)とあることから、アッラーフは必然的に形容詞(普通名詞)となり、固有名詞となることは許されない*1。
その根拠は、「彼|ザイド|おいて|その国に(彼はその国においてザイドである)」、そして「彼|バクル*2(彼はバクルである)」と言われるのが許されないことである。(それに対し)「彼|学者|禁欲家*3|おいて|その国に(彼はその国において学者であり禁欲家である)」と言われることは許される。(中略)したがって、アッラーフという言葉が形容詞(普通名詞)であると確定すれば、固有名詞となることは出来ない*4。
第2の根拠。固有名詞は指示語*5の位置に立つ。そして、アッラーフに関して指示することは不可能であるのだから、【彼】に関する固有名詞(の存在)も不可能*6である*7。
第3の根拠。固有名詞は本質や実質において似通っているある人物から他の人物が区別されるために使われるのである。そして、これがアッラーフに関しては不可能*8であれば、【彼】に関する固有名詞を確定(出来るとの)主張も不可能である*9。
これに対する回答は以下のとおりである。
第1の根拠に対する回答は、それ(第1の根拠としてあげられているクルアーンの章句)が、「これ|ザイド|【関係代名詞】|彼には並ぶ者がない|おいて|学問と|禁欲」(この人は学問と禁欲においては並ぶ者なきザイドである)と言われるのと同様の道筋をたどることがなぜ許されないのであろうか*10、というものである*11。
第2の根拠に対する回答は、固有名詞というものは特定の本質を特定するために付けられるのであり、名前で呼ばれるものが感覚的に指示されていることを必要とするわけではない。
そしてこれが、第3の根拠に対する回答でもある*12。
*1 ↑
*2 ↑ ザイドやバクルは文法学における固有名詞の例としてあげられることが多い。
*3 ↑ 学者、禁欲家は形容詞(普通名詞)に相当する。
*4 ↑
*5 ↑ アラビア語で固有名詞とは、イスム・アラムといい、「目印の名詞(اسم علم)」を意味する(『アラビア語文典』上巻161-164)。なお、ここで指示語と訳した言葉は、一般的な文脈では指示代名詞と訳される。
*6 ↑ つまり、アッラーフは本質的に空間に場所を占めないので、「それ」や「あれ」といって指し示すことが出来ない、従って指示代名詞で言及され得ない。そうであれば、指示代名詞と同族である固有名詞で指し示すこともできない、との主張。
*7 ↑
*8 ↑ つまり、本質や実質においてアッラーフと似通った別の存在があるということは不可能であるということ。
*9 ↑
*10 ↑ つまり、「【彼】は【彼】の他には神がいないアッラーフである」と理解するということ。
*11 ↑
*12 ↑