第2の課題。
アッラーフが派生語(普通名詞)であるとする者達は細論を述べている。
第1の細論*1。アル=イラーフとは正当・適切にであれ、不当・不適切にであれ【崇拝される者】のことであったが、後にシャリーア上の慣例*2によって正当・適切な【崇拝される者】を指すことが一般的となった。この解釈に従えば、イラーフは無窮の中にあるのではない*3。
知りなさい。至高なる【彼】は崇拝されることに相応しい存在である。なぜならば、至高なる【彼】こそはあらゆる恩寵 -その根源から枝葉末節に至るまで- を与える恩寵付与者であるから。というのも、存在者は必然(存在者)か可能(存在者)の何れかであるが、必然(存在者)は一つ、すなわち至高なるアッラーフであり、それ以外は全て可能(存在者)であるからである。(中略)従って、僕に生じるあらゆる種類の恩寵はアッラーフからのみ生じるのである*4。
第2の細論。人々の中には褒賜をもとめてアッラーフを崇拝するものがいるが、これは無知で愚かなことである。その根拠は、以下のとおりである。
(1)アッラーフ以外の「何か」に到達するためにアッラーフを崇拝した者がいたとすれば、実際には崇拝された対象はその「何か」である。従って、褒賜を求めてアッラーフを崇拝した者は、実際には彼の崇拝対象は褒賜である。そして、この場合、至高なるアッラーフはその崇拝対象に至るための手段だったのであり、これは大いなる無知である*5。
(2)もし、(某が)「褒賜を求めて、あるいは(来世での)懲罰をおそれて礼拝いたします」と言って(礼拝したとしたら)、彼の礼拝は有効ではない*6。
(3)ある行為を別の目的のために(手段として)行う者は、仮にその目的が別の方法で見出せるのだとしたら、手段を放棄するという状態にある。従って、褒賜や報賞のためにアッラーフを崇拝する者は、仮に褒賜や報賞が別の方法で見出せるのだとしたら、アッラーフを崇拝しないという状態にある。このような者は、アッラーフを愛する者でもなく、アッラーフの崇拝行為を望む者でもなく、これ全て無知である*7。
(これに対し)人々の中にはより高い目的のためにアッラーフを崇拝する者がある。それは、アッラーフへの奉仕という光栄に浴することである*8。
第3の細論。人々の中には、「アル=イラーフとは【崇拝される者】のことである」との見解を誹謗する者があるが、その根拠は以下のとおりである。
(1)諸偶像は神々ではないにも関わらず崇拝された*9。
(2)至高なる【彼】は無生物や動物の神でもあるにも関わらず、これらが崇拝行為を行うことは不可能である*10。(3)至高なる【彼】は狂人や子供の神でもあるにも関わらず、狂人や子供は崇拝行為を行わない*11。
(4)【崇拝される者】は、その被崇拝性に従い(固有不動の)属性を有さない。というのも、被崇拝性とは、人間によって言及され、人間によって知られ、人間の意志によって奉仕の対象とされること以外の意味をなさないからである*12。この前提に立てば、神性はアッラーフの(固有不動の)属性ではなくなる*13のである*14。
(5)(従って)次のように言われる必要がある。「至高なる【彼】は、無始曠劫において神であったわけではない*15」と*16。
第4の細論。人々の中には、次のように言う者がある。
(1)アル=イラーフは【崇拝される者】と同義ではない。そうではなく、アル=イラーフは「崇拝されるに相応しい者」を意味する。(しかしながら)この主張も、無生物、動物、狂人、子供の神とはならず、また無始曠劫において神であるわけではないと反駁される*17。
(2)また、彼らの中には、次のように言う者がある。アル=イラーフとは諸行為における全能者であり、彼がその行為をなせば、崇拝行為の可能な者による崇拝行為に値する。
知りなさい。もし我々が、アル=イラーフを先の2つの解釈*18に従って理解すれば、彼は無始曠劫において神であるわけではないこととなり、第3の解釈*19に従って理解すれば、彼は無始曠劫における神となる*20。
*1 ↑ ここから第4の細論までは、アッラーフがイラーフ(’ilāh|إله)から派生したとの(著者であるラーズィーの立場とは異なる)主張に関して議論が展開される。
*2 ↑ イスラーム学上の慣例。
*3 ↑
*4 ↑
*5 ↑
*6 ↑
*7 ↑
*8 ↑
*9 ↑
*10 ↑
*11 ↑
*12 ↑ つまり、【崇拝される者】は、定義上、崇拝する者がなければ成立し得ないということ。仮に、崇拝する人間がいなくなれば、【崇拝される者】もいなくなる。従って、【崇拝される者】の「被崇拝性」は固有不動の属性ではないことになる。教える者(教師)は学ぶ者(学生)が存在しないと成立しないのと同様。
*13 ↑ 「神 = 【崇拝される者】」という前提は、「神性 = 崇拝されること、被崇拝性」を帰結するため、「被崇拝性」が固有の属性でなければ、神性も固有の属性ではないことになる。
*14 ↑
*15 ↑ つまり、崇拝する者が存在しなかった時点では、【崇拝される者】ではなかったことになり、これすなわち神(=【崇拝される者】)ではなかったことを意味するということ。
*16 ↑
*17 ↑
*18 ↑ つまり、アル=イラーフを【崇拝される者】とする見解(第3の細論)と「崇拝されるに相応しい者」とする見解(第4の細論(1))を指す。
*19 ↑ 第4の細論(2)を指す
*20 ↑