(アッラーフという言葉の起源に関する)第2の解釈は、アル=イラーフが「 ’aliha ilā|أله إلى 」、つまり「~に安らぎを得た」という意味からの派生語であるというものである。というのも、理性はアッラーフを想念することによってのみ安らぎを得、霊魂は神智によってのみ癒されるからである*1。
第3の解釈は、al-walaha|الوله、つまり「理性がどこかに行ってしまうこと」から派生したというものである。知りなさい。人間には二種類ある。神智の大海の浜辺に到達する者と、(到達が)許されない者である。許されない者は躊躇の闇と無知の迷路にとどまり、まるで理性と霊魂を失ったかのようである*2。それに対し、(神智を)見いだした者は、光の場所と、荘厳と崇高の広場に到達したのであり、(神の)自存性の広場に迷い込み、「神の唯一性」の場所に消えるのである。従って、全ての人間は神智に関して理性がどこかに行ってしまった者である*3。
第4の解釈は、高遠にあるを意味するlāha|لاه から派生したというものである。というのも、至高なる【彼】は可能存在物との相似性や生成物との類似性から(離れた)高遠にあるからである*4。
第5の解釈は、「事柄において思い惑いそれへの(正しい)道を見いださないこと」を意味する’aliha fī|أله في から派生したというものである。つまり、僕が【彼】について考えれば、思い惑うのである。なぜならば、人間が(神について)何を想像し思い浮かべようと、それと【彼】とは違うからである*5。
第6の解釈は、「隠れる」を意味するlāha|لاه から派生したというものである。【彼】が隠れた存在であるというのは様々な意味からである。
(1)【彼】はその自存性(ṣamadīya|صمدية)の本質によって、(人間の)理性から隠れている*6。
(2)もし仮に太陽が天頂に留まり動かなかったとしたら、光は壁の表面にとどまりそこを離れることは無いだろう。その際に、(某は)壁の表面にある光が壁自体から生じていると考えつくであろう。しかし、我々は太陽が動き去り、その際に壁の表面の光も消え去るのを目にする。このようにして、我々はこの光が太陽の円環から降り注いでいるのを知るのである。このように、ちょうど光が太陽の円環からやってくるのと同様に、存在は至高なるアッラーフの威力の御側から被造物界の全般にやってくるのである*7。
もし仮に、至高なるアッラーフが(太陽のように)昇り、沈み、去り、現れるのが正しいとしたら、【彼】が沈む際に可能存在物の表面にある存在の光は消え去り、それにより存在の光が【彼】からのものであることが明らかとなったであろう*8。
しかしながら、【彼】が沈むことと昇ることは不可能であるので、当然のことながら、一部の(考えの)足りない者達は現世の事物がその本質に従い本質のために存在すると思うのである*9。
従って、【彼】の光が(人間の理性から)隠れていることの唯一の理由は、【彼】の光の完全性であると確定したのである。ゆえに、真理の探究者達の一部は「その途方もない顕現性ゆえに(人間の)理性から隠れ、その光の完全性ゆえに(人間の)理性から隠れている御方に賞賛あれ」と述べる*10。
もし、事態がこのようであれば、(神の)自存性の本質が(人間の)理性から隠れていることは明瞭となる。なお、それが隠されていると言われることは許されない。なぜならば、隠されていると言うことは打ち負かされていることであり、打ち負かされることは僕に相応しく、それに対して真実在は勝利者であり、隠れるという属性は勝利の属性であり、真実在は隠れるが、被造物は隠されるのである*11。
第7の解釈は、(親から)離れた子供が母親を熱望するという意味の’aliha |أله から派生したというものである*12。
第8の解釈。アル=イラーフは、’aliha|أله 、つまり(自動詞の場合は)出来した事態から恐れる、(他動詞の場合は)保護を与えるという言葉から派生したというものである*13。
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*2 ↑ 茫然自失状態にある、ということ。
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