『現代のイスラム金融』では「利子」の禁止が「古代の静態的な経済、コミュニティ意識が強い環境下では一般的なものであり」と記述されています。換言すれば、かつてコミュニティ意識が強い頃は「地域住民」はある種の「仲間」や「身内」の様な近い存在であり、そのような「仲間内で」利子を取ることが忌避されたいうことであろうと思います。逆に言えば、「仲間内でなければ」利子を取っても構わない、という理屈も成り立ちます。
例えば、ユダヤ教の場合は
たしかに、ユダヤ人同士で利子をとることは「律法」でも禁じられている(今日のイスラエルでも銀行は一種の共同出資組織としてしか認められない)。だが異教徒への利子金融は禁じられていない。異教徒に布教しないユダヤ教では、律法の定める義務も権利も異教徒には及ばないのである*1。
とあり、中世世界でユダヤ人が利子金融の主役となるのを支えた理論的な背景が説明されています。同時に、当時のキリスト教世界ではユダヤ人は土地の所有をほぼ禁じられていたため職業選択の幅が狭かったといった社会的背景も重要です*2。
これに対し、イスラームの場合はイスラーム法の施行される地域(ダール・アル=イスラーム)内ではムスリム(イスラーム教徒)からであろうと、非ムスリムからであろうと、等しく利子を取ることは許されません。
*1 ↑ 高木 久夫 「中世におけるユダヤ思想の動き」 手島 勲矢編著『わかるユダヤ学』日本実業出版社、2002年、114-116頁。
*2 ↑ 高木 久夫 「中世におけるユダヤ思想の動き」 手島 勲矢編著『わかるユダヤ学』日本実業出版社、2002年、114-116頁。