ハディース学では、ハディースは次のように定義されます。
(1)預言者ムハンマドに帰属する、あるいは(2)教友もしくは(3)後続世代(タービイー)に帰属する①発言、②行為、③承認、④外見や性格に関する形容*1。
ハディース学では、(2)教友に帰属する発言等がハディース・マウクーフ(الحديث الموقوف)と、(3)後続世代に帰属する発言等がハディース・マクトゥーウ(الحديث المقطوع)とそれぞれ呼ばれます。(2)の教友とは預言者に会ったことのある人のこと、(3)の後続世代とは教友に会ったことのある人を指します。
マウクーフとは止められたの意味で、発言などが教友達にまで遡った時点で「止まった」ことにより名付けられました*2。マクトゥーウとは断ち切られたとの意味で、発言などが後続世代の時点で「断ち切られた」ことがその由来です*3。
これに対し、預言者に帰属する発言などはハディース・マルフーウ(الحديث المرفوع)と呼ばれます*4。マルフーウとは、高められたの意です。より一般的には、預言者のハディース(الحديث النبوي)とも呼ばれます。先にハディースの一般的定義として、「預言者ムハンマドに帰属する発言、行為、承認、形容」との定義を引用しましたが、これはハディース学においてはハディース・マルフーウの定義と一致することになります。
また、預言者に帰属する発言のうち、預言者がアッラーの言葉として語ったハディースがあります。これをハディース・クドゥスィー(الحديث القدسي)といいます。クドゥスィーとは聖なるという意味です*5。以下のハディースはその一例です。
アブー・フライラの伝えるところによると、預言者は次のように言われた。
アッラーは次のように言われている。
「私は同輩を全く必要としない。行為を行ったものが、その行為に於いて私と私以外を並置したのであれば、私はその行為と私以外に並置されたものを捨て置くであろう」*6。
この、ハディース・クドゥスィーはクルアーン(コーラン)とは違います。
まず、クルアーンだけに見られる特徴を3つ挙げます。①クルアーンは奇跡とされます。②クルアーンは礼拝などの崇拝行為の際に読誦されます。③クルアーンは誤謬があり得ないほど多数の伝承(ムタワーティル)によって伝えられるとされます。
また、次のようにも説明されます。クルアーンはその表現も内容もアッラーからの啓示によってもたらされたのに対し、ハディース・クドゥスィーは内容は夢や霊感によってアッラーからもたらされ、表現は預言者によるものであるとされます*7。
以上を纏めると以下のようになります。
クルアーンとハディース・クドゥスィーの比較 | ||
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クルアーン | ハディース・クドゥスィー | |
奇跡性 | ○ | × |
礼拝などでの読誦 | ○ | × |
伝承の無謬性 | ○ | × |
内容がアッラーに属すか | ○ | ○ |
表現がアッラーに属すか | ○ | × |
出典:筆者作成 |
これまでに、ハディース・クドゥスィー、ハディース・マルフーウ、ハディース・マウクーフ、ハディース・マクトゥーウと出てきましたが、これらは以下の表のとおり纏められます。
発言者別のハディースの区分 | |
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発言者 | 区分 |
アッラー | ハディース・クドゥスィー |
預言者ムハンマド | ハディース・マルフーウ 単にハディースと言われた場合には、一般的にはハディース・マルフーウが意図されている。 |
教友 | ハディース・マウクーフ |
後続世代 | ハディース・マクトゥーウ |
出典:筆者作成 |
なお、以上の議論は各範疇に含まれるハディースの真偽や信頼性とは無関係であり、例えばハディース・クドゥスィーの中にも信憑性の高いものから低いものまで含まれています。つまり、発言者別のハディースの区分は、信憑性によるハディースの区分とは全く無関係である、ということです。
また、ハディース学において、教友、後続世代の言行の一部がハディースとみなされて総合的に研究されたのは、教友、後続世代の発言が預言者の教えを反映している可能性が高いものとして重要視されたからです*8。初期のイスラーム法学(フィクフ)はハディース学と渾然一体とした関係にありましたが、イスラーム法学書には教友の見解が大量に所収されています。さらに、イスラーム法学基礎論はどのような場合に教友の見解が法源としての価値を持つのかを詳細に定式化しました*9。なお、シーア派(12イマーム派)では、ハディースは12人のイマームの言行を含むものとなっています。
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日本語訳では『日訳サヒーフ・ムスリム』第3巻、801頁に所載。
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