イスラーム法理論あるいは法学基礎論とも訳されるウスール・アル=フィクフは、主に法発見の方法論を扱う学問です。この学問においては、「預言者ムハンマドに帰属する①発言、②行為、③承認」をスンナと呼びます。
スンナとは言語上は慣れた道、習慣的な道を意味します。「ある人のスンナ」とは、良きものであれ悪しきものであれ、その人の習慣、慣習、慣行を意味します。預言者のハディースに
良いスンナを始めた人間には、復活の日までずっとその良いスンナとそれを行った人々の報酬がある。また、悪いスンナを始めた人間には、復活の日までずっとその悪いスンナとそれを行った人々の罪がある。
とあります。*1
ハディース学では「(1)預言者ムハンマドに帰属する、あるいは(2)教友もしくは(3)後続世代(タービイー)に帰属する①発言、②行為、③承認、④形容」をハディースと呼びますが、イスラーム法学基礎論では「④形容」を除いた(1)預言者ムハンマドにのみ帰属する内容をスンナと呼びます。従って、(2)教友もしくは(3)後続世代(タービイー)のスンナという用語法は存在しません。ハディース学におけるハディースと、イスラーム法学基礎論におけるスンナとはほぼ同内容ですが、「(2)教友」、「(3)後続世代」、「④形容」を含むか否かの違いが存在します*2。
イスラーム法学基礎論ではスンナを
イスラーム法学基礎論学者の間では、スンナとは預言者ムハンマドから発出した全ての法的根拠のうち、読誦されるものや奇跡ではなく、また奇跡に含まれないものを指す。別の表現を使えば、預言者ムハンマドから発出した全ての発言、行為、承認を指す*3。
と定義します。
上の引用の中で、「読誦されるものや奇跡ではなく」とありますが、これはクルアーン(コーラン)を指しています。クルアーンは奇跡であり、礼拝などで読誦される特別な存在と見なされます(詳しくはハディース・クドゥスィーの説明を参照してください)。また、預言者が行った奇跡も語義上、預言者にしか起こし得ないため預言者以外の一般人にとっての法的根拠とはならず、スンナから除外されています。「形容」が除外されるのも同様の理由によります。
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