a. 井筒 俊彦訳 『コーラン』(岩波版)
意訳的。文学的な美しさがある。クルアーンの初期啓示(下巻の後半部分に顕著)の不思議な文体を生かそうとした訳文は特徴的。例:「どんどんと戸を叩く、何事ぞ、戸を叩く。戸を叩く音、そも何事ぞとは何で知る」(101章1-2節)。
b. 藤本 勝次、伴 康哉、池田 修訳 『コーラン』(中公版)
直訳的。訳文が平易で通読しやすい。例えば、「もともと神は不足するものなきお方、讃えられるべきお方である」(第4章131節)との訳文は、「不足するものなき」(アラビア語 「ガニー」)の日常的な意味「お金持ち、分限者」を離れ、神学的な「不足するものなき」「自足した」との意味を、平易な言葉で訳出している。
c. 三田 了一訳 『聖クルアーン』(ムスリム協会版)
意訳的。日本初の日亜対訳書としてムスリム(イスラーム教徒)の間で広く用いられる。英訳書(アブドゥル・マージド 及び ユースフ・アリー)に多くを負っている。
d. 『日亜対訳 クルアーン』(黎明版)
直訳的。アラビア語の原文に可能な限り忠実に逐語的に訳すことと、邦訳の本文だけを読んでも意味が通る読み易い訳にするように心がけた。