●どうしておまえたちにアッラーを否定できようか(未完了形)。御前達は死んでいたが、彼が御前達を生かした(完了形)。それから彼は御前達を死なせ、それから彼は御前達を生かし、それから御前達は彼の許に戻されるのである(未完了形)〔2:28〕
「御前達は死んでいたが、彼が御前達を生かした」、つまり無であった御前達を存在へと引き出したの意。これに類する章句は「彼らは何もなしで創られたか、それとも、彼らは創造者なのか。それとも、彼らは天と地を創ったのか。いや、彼らは確信しない。」〔52:35-36〕、「人間には、言及されるようなものでなかった時期が来たではないか。」〔76:1〕等、数多い*1。
[1]【1】①スフヤーン・アッ=サウリーはアブドゥッラー・ブン・マスウードからの伝承として、40章11節の内容は2章28節にあると述べた*2。
②イブン・ジュライジュはイブン・アッバースからの伝承として、以下のように述べる。御前達は父の腰の中で死の状態、何ものでもない状態であったが、その後神が御前達を創造し、それから死なし、復活の際に生かすのである。これは40章11節も同様である*3。
③また、アッ=ダッハークはイブン・アッバースからの伝承として次のように述べる。「我らが主よ、あなたは我らを2度死なせ、2度生かし」〔40:11〕の意味は、御前達は神により創造される前は土であったがこれが死であり、その後神が御前達を生かし創造したがこれが現世での生であり、それから御前達を死なし墓に戻すがこれが第2の死であり、最後に復活の日に蘇らすがこれが第2の生である。従って、これが2つの死と2つの生であり、2章28節にも述べられているとおりである。この伝承は他の経路でも伝えられている*4。
[1]【2】アッ=サウリーはアブー・サーリフからの伝承として次のように述べる。2章28節は墓中で生かされ、それから死なされることを意味している*5。
[1]【3】イブン・ジャリールはアブド・アッ=ラフマーン・ブン・ザイド・ブン・アスラムからの伝承として次のように述べる。神は人間をアーダム(アダム)の腰に創造し彼らから「原初の契約」を取り、それから彼らを死なせ、それから子宮の中に彼らを創造し、それから死なせ、それから復活の日に生かすのであり、40章11節も同様である*6。
上記2つの見解は奇妙である。正しい見解は、アブドゥッラー・イブン・マスウード、イブン・アッバース及び後継者世代の一群から伝えられている見解である。その例証は、「言え、『アッラーはおまえたちを生かし、それからおまえたちを死なせ、それからおまえたちを疑いのない審判の日に集め給う』。だが、人々の大半は知らない。」〔45:26〕、そして感覚が存在しないことで一致している故に存在以前の状態(=無生物の状態*7)を死と表現する「(偶像は)死んだもので、生きてはいない。彼らは彼らがいつ甦らされるのかも察知しない。」〔16:21〕、「そして彼らへの印の一つは、死んだ大地である。われらはそれを生き返らせ、そこから穀物を出でさせ、それから彼らは食べる。」〔36:33〕である*8。
なお、同注釈書はクルアーン40章11節の解釈に関し、2章28節のアブドゥッラー・イブン・マスウード及びイブン・アッバースの見解を疑念の余地のない正しい説であるとするのに対し、アッ=サウリーとイブン・ジャリールの説は3つの生と3つの死を要請するとして両説を薄弱であるとしています*9。
イブン・カスィールの解釈を整理しますと、以下のようになります。
[1]【1】感覚が存在しないという共通点を持つ無生物の状態を死とする解釈。このうち、②はタバリー[1]【1】に相似し、【1】③はタバリー[1]【3】に相似する。
[1]【2】墓中での生と死とする解釈。タバリー[1]【2】に相当する。解釈としては弱いとされる。
[1]【3】「原初の契約」に着目した解釈。タバリー[1]【4】に相当する。解釈としては弱いとされる。
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*7 ↑ ここで言う存在以前の状態とは人が人である前の精子である状態等を指すが、これは無生物の状態であり、それ故に偶像が「死んでいる」とするクルアーンの章句が例証として挙げられている。
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