先ほどのアル=ナワウィーの注釈書には救済に関わる重要な記述があります。
また、同様にスンナ派はアッラーに義務が課せられることはない(とする)。逆に、世界はアッラーの所有物であり、現世と来世はアッラーの大権の下にありお望みのことをなし給う。もし仮に、アッラーが(アッラーに対して)従順な者や善良な者を罰し火獄にいれたとしてもそれはアッラーの正義であり、彼らに栄誉と恩恵を与えるのはアッラーの恩寵である。また仮に、不信仰者に恩寵を与え彼らを楽園に入れたとしても、それはアッラーの権利である。
しかしながら、正しい伝達によってアッラーが教示されているのは、以上の(仮定の)ことをアッラーは行われず、慈悲によって信仰者を赦し楽園に入れ、正義として偽信仰者を罰し火獄に永遠に留めさせ給うのである*1。
以上の引用には、イスラームの重要な原則が2つほど記載されています。
まず第一はアッラーの正義についてです。イスラーム(スンナ派)では神の正義を以下のように捉えます。
①アッラーは世界の存在全てを創った存在と理解されます。
②従って、アッラーには他者との関係において何かが義務として課される、ということはありません。
③神は人間に対して完全に超越し隔絶した存在です。
④全ての存在がアッラーによって創造されたということは、全ての存在はアッラーの所有物に過ぎないということになります。従って、理論上は、アッラーがそれをどのように扱おうと自由ということになります。
⑤従って、仮に神が人間の理性では理解し難いこと、例えば善人を火獄に入れるといったような人間の理解する正義から外れるようなことを仮に行ったとしても、それは神の正義に反することにはならない、と理解されます*2。
⑥しかしながら、クルアーン(コーラン)やハディース(預言者の言行録)といった啓示伝承に於いて、アッラーが善人を火獄に入れるといったようなことは行われない、と明らかにさえています。
⑦善人が楽園に入るのは、ただアッラーの慈悲によるとされます。
このように、イスラームではアッラーと人間との関係が、与える者と与えられる者、力のある者と力のない者、知識のある者と知識のない者の関係として理解されるため、アッラーが何を行おうとそれはアッラーの自由でありかつ正義とされますが、あくまでもアッラーは慈悲深い存在であるために人間が救済に与ることになります。
*1 ↑
*2 ↑ このような神の正義の理解は、ムウタズィラ派の理解とは相違する。また、シーア派の神学はムウタズィラ派の影響を深く受けて成立した。