c.シャリーア学(イスラーム教学)

 イスラームの独自性(あるいはイスラーム文化)が、「ヘブライズム」にあることが前節までに明らかになりました。この場合、「ヘブライズム」は、(1)一神教であること、(2)啓示の解釈伝統の蓄積を意味します。ウラマー達が研究した学問、すなわちシャリーア学(イスラーム教学)にはヘレニズムとヘブライズムの両者が含まれますが、どちらかというとヘブライズムに重心が置かれます。イスラーム教学は、ムスリムによってその伝統が守られてきた信仰のための学問です。

 ここでいう、イスラーム教学とは、アラビア語のアル=ウルーム・アッ=シャルイーヤ(シャリーア学、天啓の学問)を仏教徒にとっての仏教学、キリスト教徒にとってのキリスト教神学との類推において名付けたものです。日本ではイスラーム諸学とも呼ばれます。

 東長靖は『岩波イスラーム辞典』のなかで「イスラーム諸学がどの範囲をさすかは、時代と地域により異なるが、おおよそどの時代にも共通していえるのは、クルアーン学(解釈学・読誦学を含む)、ハディース学、法源学、法学、神学、アラビア語学などである。これらを修めた人びとがウラマーと呼ばれるが、スンナ派の場合にははっきりとした認定制度があるわけではなく、その範囲は必ずしも明確ではない」*8としています。

 以上の学問について簡単に説明を加えます。

 まず、イスラームを専門的に勉強できるようになるのにアラビア語学が必要なのはある意味で当然だろうと思います。アラビア語文法学(統語論と形態論)、修辞法等の習得が求められます。

 次に、クルアーン学です。井筒俊彦が何度も繰り返し指摘していたように、クルアーン(コーラン)こそはイスラームの核になる部分です。クルアーンの定義は「①神の言葉であり、②預言者ムハンマドに下された、③アラビア語による、④我々に絶対多数の伝承によって伝えられた、⑤ムスハフに記された、⑥その読誦が敬神行為であり、⑦その章の最短のものであっても奇跡であり、⑧開扉章によって始まり、⑨人々章によって終わるもの」というものです*9。上記の①~⑨のうち、①、⑥、⑦を除いた②、③、④、⑤、⑧、⑨の部分は、全てのウラマーと非ウラマーの研究者の大半との間で合意が成立しうる内容です*10

 そして、ハディース学です。ハディースとは、「預言者ムハンマドに帰属する①発言、②行為、③承認、④形容」*11というのが一般的な定義です。早期にテキストが確定され正典化がなされたクルアーンと違い、ハディース集の編纂過程は小杉泰により次のように纏められています。

 「ムハンマドの指示や言葉は、大事な教えとして弟子たちによって生前から語られたが、彼の死後は本人に確認できないため、いかに彼の言葉の真偽を確認できるのかが、しだいに問題となった。直接彼を知る弟子たちや彼らから直接教えを受けた者がしだいに亡くなる一方、ハワーリジュ派、シーア派といった分派が成立し、ウマイヤ朝が世襲王国を開いた後には、政治的理由や分派的信条による捏造、さらには物語師による創作などによって、ムハンマドの権威を利用した言説があふれ出る状態が生じた。これに対して、師弟相伝でムハンマドの言行を伝えていた者たちは危機感をもち、伝承の識別をするようになった。彼らの後継者たちが専門のハディース学者となり、ハディース批判の方法を発展させた。9-10世紀初頭に成立したスンナ派の主要なハディース集(いわゆる六書)の編者たち(ブハーリー、ムスリム・イブン・ハッジャージュ、イブン・マージャ、アブー・ダーウード、アブー・イーサー・ティルミズィー、ナサーイー)はいずれも、数十万のハディースを収集し、そのなかから数千を信頼に値するものとして精選した。精選の基準、方法は、ハディース学として体系化された」*12

 このようにして成立したハディース集に対し、さらにその注釈書が作られていきます*13。たとえば、ブハーリーのハディース集にはおよそ80の注釈書があります*14。また、あるハディースが真正なものであるか否かに対する研究はムスリムの間でも今も続けられています*15。ハディースの重要性はまだあまり広く知られていませんが、例えば「六信五行」について纏めた形で明らかにするのはクルアーンではなくハディースですし*16、クルアーンでは多様な解釈が可能であるのに対しハディースの方が文意がより限定的であるという特徴があります*17。クルアーン学とハディース学の成果を活用して、法学と神学が学ばれます。

 法学はムスリムの行動様式にもっとも大きな影響を及ぼす学問です。法学は、アラビア語ではフィクフと呼ばれ語源的には「理解」を意味し、「神意の理解」を目的とした学問です*18

 イスラーム法が一般的な意味での法律と違う点として、

 ①礼拝・巡礼などの宗教儀礼が含まれること、

 ②行為を禁止、忌避、自由、推奨、義務の五範疇に分類して論じること、

 ③国家によって制定されるのではないこと*19

 ④紛争解決の手段となることを必ずしも志向しないこと、つまり、必ずしも実学ではないこと(勿論、裁判所で用いられる実学としての側面もあります)、

 ⑤第何条、第何項といった条文が存在しないことなど、が挙げられます。イスラーム法学によって、イスラームが「マニュアル化」されることによって、イスラーム世界のある程度の均一性が確保されました。フィクフのうち、宗教儀礼の部分がイバーダート、社会的行為にかかわる部分がムアーマラートと呼ばれます。東洋学者によるイスラーム法学研究は、植民地経営にも役立つためムアーマラートを中心に扱われました*20

 神学は知性論(認識論)、神の属性論、預言者の属性論、天使・来世・運命などの不可視界に関する知識に大別されます。このうち、知性論および属性論が論理学の対象であるのに対し、不可視界に関する知識は理性によっては得られないとされるため、クルアーンとハディースの引用による論証が中心となります。ウラマーによる神学研究が護教と信仰箇条を明らかにすることを目的とした学問的営為であるのに対し、非ウラマーによる神学研究は神学の中のより知性的な部分に関する思想史的アプローチが中心となります。

 以上でイスラーム教学については終わりとし、以下はイスラーム思想の各論について纏めていきます。


*8 : 東長 靖「ウラマー」『岩波 イスラーム辞典』

*9 : 詳しくは、http://islam.ne.jp/quran/quran3/quran3-1

*10 : 例えば、「啓示は預言者を通じて語られたにもかかわらず、預言者の在世中から彼自身の言葉とは区別されて記憶され、部分的には記録されて保存され、礼拝や各地への布教の際に用いられた。預言者の没後ただちに啓示はすべて書きとめられて収集され、ほぼ20年後(第三代カリフ・ウスマーンの在位時代)に現在のコーランの形に編纂され、正典化された」(小田 淑子「預言者とコーラン」山内 昌之等編『イスラームを学ぶ人のために』世界思想社、1993、p.32)との記述が、上記の②、③、④、⑤に該当する。John Wansbroughは「ハディースばかりでなくコーランをも、西暦9世紀に至るセクト闘争のなかで生まれたものであると論じている」(清水 和裕「マシュリク(前近代 11世紀以前)」三浦 徹ら編『イスラーム研究ハンドブック』栄光教育文化研究所, 1995, p.86)が、この主張は「欧米でも受容されるには至らなかった」(小杉 泰「クルアーン」小杉 泰ら編『イスラーム世界研究マニュアル』名古屋大学出版会, 2008, p.64)。

*11 : http://islam.ne.jp/hadith/hadith5/hadith5-1

*12 : 小杉 泰「ハディース」『岩波 イスラーム辞典』

*13 : 本サイト上で読める具体例として、http://islam.ne.jp/hadith/hadith2http://islam.ne.jp/muhammad/charactor_h/charactor_2http://islam.ne.jp/6and5/6and5http://islam.ne.jp/sahaba/ranks_sahaba/sahaba_ranks3 など。

*14

محمد الزحيلي، مرجع العلوم الإسلامية، دمشق، ط2، 2005، ص 271.

*15 : 「欧米の東洋学でのハディース研究は、ハディースを史料として用いる研究とハディースの信憑性に特化した研究とに分けられる。信憑性については、口承伝承の価値、書き記されたハディースの分量と質、史料批判の方法などから、信憑性をおおむね認める派と否定する派にはっきり分かれている」(小杉 泰「ハディース」『岩波 イスラーム辞典』)とあるように、争点はハディースが真にムハンマドへ帰属するのか否かという点にあり、クルアーンを巡る争点とは質的な相違がある。

*16 : http://islam.ne.jp/6and5/6and5-2

*17 http://islam.ne.jp/quran/quran-05/quran-05-08

*18 : http://islam.ne.jp/fiqh/fiqh1-4

*19 : なお、かつてのイスラーム諸国は特定の法学派を裁判所で用いる「公式学派」として採用し全面的に適用するのが通例でしたが、現在では世俗法廷とシャリーア法廷に分けた上でイスラーム法の適用を家族法などに限定する国々が一般的です。http://islam.ne.jp/fiqh/fiqh1-5参照。

*20 なお、理念としての法学については中田 考『イスラーム法の存立構造』ナカニシヤ出版、2003、pp.5-67頁、裁判制度など実学としての側面については堀井 聡江『イスラーム法通史』山川出版社、2004を参照されたい。